涙と愛の物語:常盤御前と伏見奉行所の知られざる繋がり
「伏見奉行所が語る、愛と戦いと再生の歴史ドラマ」の続きです♪
ちょっと見てください。この↓石垣!伏見奉行所の石垣がこうして今も残っているんです。これって感動しませんか?だって、もしかしたらあの小堀政一(遠州)がこの石垣に触れ、「うむ、なかなかの出来栄えじゃ」と満足げに撫でたかもしれないんですよ?そう思うと、私も「遠州が撫でたかもしれない石垣を、自分も撫でてみたい!」って気分になりますよね。
ただし、問題がひとつ。この石垣、草がボーボーなんです。いや、もう見事に生い茂ってて、「この草たちは石垣のボディガードか!」ってツッコミたくなるくらい。触りたくても、まるで「無許可で触れるな」と言わんばかりのガード力で、とても手を出せる雰囲気じゃありません。江戸時代の人たちが見たら、「せっかく作った石垣、草まみれかい!」って驚くかもしれませんが、それもまた時代の流れというものでしょう。
でもね、草をかき分けてでもこの石垣を撫でてみたくなる気持ちは、きっと歴史好きの皆さんなら共感してくれるはず。だって、こうした遺構が目の前にあるだけで、遠州の時代の息吹を感じることができるんですから。それがどれだけ貴重でロマンあふれることか!
結局、草が生えていようがいまいが、この石垣が語る歴史の重みは変わらない。むしろ、この草たちが石垣を守ってくれているおかげで、今もこうして私たちがその存在に触れることができるのかもしれませんね。なんだかんだで、草にも感謝しないといけない気がしてきました。
さて、焼き払われた伏見奉行所の跡地はその後どうなったのでしょうか?
明治新政府がやってきて、伏見奉行所跡地は再び脚光を浴びることになります……が、その理由がちょっと物騒。「フランス式の陸軍士官養成をするぞ!」と伏見練兵場が開設され、国民皆兵の号令のもと集められた「伏見親兵隊」の兵士たちは、戊辰戦争に従軍。東海、北越、函館と、いろんな戦場に送り込まれました。
その後、1871年には兵部省直属の「親兵」に改編され、伏見奉行所跡地は今度は陸軍伏見工兵第16大隊の敷地に。これで終わりかと思いきや、1936年には「工兵第16連隊」に改称。そして、運命の1945年、大東亜戦争の終戦後、この土地は米軍に接収され、米軍駐屯地として利用されることに。いやもう、時代の変化に振り回されすぎて、土地もびっくりですよね。
しかし、ここで物語は再び転換します。1958年、米軍から日本に返還された跡地に建てられたのは、なんと京都発の大規模団地「京都市営桃陵団地」。まさか、かつての伏見奉行所跡地が、兵士たちの練兵場を経て、最後は団地として住民の生活を支える場になるなんて、誰が想像したでしょうか?
考えてみれば、この土地は本当に「歴史の舞台裏」を象徴しているような場所。かつては徳川幕府の要所であり、次には新政府の軍事施設、さらに戦争の名残で米軍に接収され、最終的には市民のための住居地へ。こうやって何度も用途を変えながら、その時代ごとの日本を映してきたんですね。
それにしても、伏見奉行所の華麗な庭園を楽しんでいたであろう江戸時代の人たちが、この土地が軍事施設や団地になる未来を知ったら、どんな顔をするんでしょうね。「なんで庭園が団地に?」って絶対びっくりするに違いありません。でも、それが時代というものなのでしょう。
そう考えると、私たちが普段目にする土地や建物も、いつの日か全く別の用途で使われることになるのかもしれませんね。今はただの団地に見えても、実はとんでもなくドラマチックな歴史を背負っている場所だったりする。だからこそ、ちょっとした場所にも想像力を働かせて、その背景に思いを馳せるのって面白いと思いませんか?
さて、ここはかつて伏見奉行所があった波乱万丈の土地。しかし、さらに深い歴史が隠されています。この地は、平治の乱で敗れた源義朝の側室であり、三人の幼い子どもを連れて逃げ続けた、あの源義経の母・常盤御前が捕らえられた場所でもあるのです。その事実を今に伝える石碑が静かに佇んでいます。
常盤御前——その名は歴史に刻まれる美しさと悲劇の象徴。子どもたちの命を守るために、自らの運命を清盛に捧げたその決断。彼女がこの地で捕らえられたとき、胸中にはどれほどの恐怖と絶望が渦巻いていたことでしょう。そして、それ以上に、幼い子どもたちを守り抜きたいという母としての強い想いがあったに違いありません。
この場所に立つと、彼女がどんな思いでここに佇んでいたのかを想像せずにはいられません。涙をこらえながら、必死に冷静さを保ち、子どもたちの未来のために清盛の妾となることを決意した。その覚悟、その愛の深さが、この土地に刻まれているように感じます。
この地は、ただの石碑が残るだけの場所ではありません。常盤御前という一人の母が、愛と犠牲によって子どもたちを守ろうとした物語が、静かに息づいている場所なのです。彼女が抱えた恐怖や涙、そしてその奥にある強い愛情が、この土地を特別なものにしています。
京都という町は、こうした歴史の断片が至るところに散りばめられています。過去の人々がどんな思いでこの土地を歩き、どんな人生を送ったのか。それを知るたびに、私たちは時代を超えて彼らの想いに触れることができるのです。
この地で立ち止まり、彼女の物語に思いを馳せると、自然と心が揺さぶられます。ここが、彼女の涙と愛の物語が始まった場所——そのことを静かに感じながら、この土地を訪れるのもまた特別な体験ではないでしょうか。
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