高札場跡、ここがそう?看板も石碑もない現代の歴史散歩
Googleマップ、ほんとに凄いですね。あまりの精度に驚かされるばかりです。そんな私、「高札場跡」という気になるスポットを地図上で発見。一本先の道を通る予定だったのですが、「ちょっと寄り道してみよう」とワクワクしながら現地へ向かいました。
さて、高札といえば、奈良時代から始まった人民統制の象徴ですよね。江戸時代には「キリシタン禁止」「火事注意」なんてお達しが掲示されていたとか。じゃあ、この「高札場跡」はいつの時代のものだったんだろう?石碑とか説明看板とかがあるのかな?なんて期待を胸に到着しました。
が!見ても見ても…ない。何もない。何度確認しても、ここがその場所らしいのに、目印らしいものが一切ないんです。周りを見渡しても、石碑なし、看板なし、草一本さえも、なにもかもが「いや、ここ何も知らんで?」みたいな顔をしてる。
何もない。いや、本当に何もない。「ここ、どのへんが史跡なの?」っていう、謎解きゲームが始まる始末。
「おかしいなぁ」と改めて地図をじっくり確認すると…どうやら「高札場跡」は現在、道路のど真ん中だったらしいです。笑 え、マジ?ここ車道ですけど?立ち止まって見上げても、空には青い空しかないし、足元はアスファルトが広がるばかり。
おまけにここ、思った以上に車の往来が激しい。もう、『車が通らない瞬間なんてあるの?』って思うくらい。でも、粘り強さとタイミングが勝負!車がいなくなる一瞬を狙って、ようやく撮れた奇跡のワンショット↓です。もうこれ、撮影というよりもはやスナイパー気分でした。笑
つまり、これ、Googleマップがなければ誰も気づかない、いや、そもそも存在すら知らないであろう史跡なわけです。思わず「これが現代の高札場か」と感慨深くなるかと思いきや、何もない風景にちょっと虚しさすら感じました。
でもね、そんな「何もない」場所に立ってみると、逆に「これが本来の日本の史跡なのかも」と妙に納得してしまう自分がいました。日常の喧騒の中に、静かに埋もれる「高札場跡」。看板ひとつ立てる余裕すらない狭いスペースに、過去がひっそり息づいている。これだけ往来が多いからこそ、ここがかつて高札場だったんだなと、不思議な説得力を感じます。
けれど、それを知る術はGoogleマップのピンひとつ。現地では、「ここが何か?」と聞いても誰も答えられないほど、あまりにも何もなさすぎて、逆におかしくなってくる。歴史の重みがあるはずなのに、目の前には車と人がせわしなく行き交う現代。静けさどころか、クラクションの音が響く中で「史跡」を感じるのって、これぞ日本的なギャップ体験かもしれませんね。
でも考えてみれば、こうしてGoogleマップのおかげで、歴史の痕跡に出会えるというのも面白いですよね。地図一つで現代と過去をつなぐ旅。Googleマップがなかったら、日本にこんな埋もれた史跡があるなんてわからないわけですから。本当にGoogle様様!これ、もはや「米国のGoogleに教えられる日本史」という新ジャンルですよ。笑
米国のGoogle様に私たちの生活情報を根こそぎ抜かれているのも、悪いことばかりじゃないなと思えてきます。だって、自国の史跡の場所すらGoogle様に教えてもらうのですから!皮肉を通り越して、ちょっと笑えてきます。
それにしても、これだけ目立たない史跡、ある意味すごいと思いません?むしろ「何もないこと」を味わう贅沢。想像力をフル稼働させて、「ここにかつて高札が掲げられていたんだな」と思いを馳せる。これはもう、“何もない”を感じるという新しい形の史跡体験なのかもしれません。
現代の便利なツールに頼って、過去の片鱗を探しに行く。それがGoogleマップ時代の「歴史巡り」なんだな……なんて、ちょっと思ってみたり。まあ、史跡があまりにも目立たない分、現地での発見の喜びはひとしおですけどね。
Googleマップの史跡ピンが現代の“案内板”ってことで。笑
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