2016年 09月27日 15:19 (火)
今朝、金木犀の香りが薫っていました。
金木犀の香りがすると、
「あ~、またこの季節がやってきた。」
と思うメグおばちゃんです。
先日、我がマンションの近くの【ド根性彼岸花】が
今年もお花を咲かせていました。
相変わらずの生命力で、
アスファルトにあるわずかな土の部分から、
今年もお花&つぼみを出していました。
<2015年9月>
昨年の記事→★
<2016年9月>
今年は雑草も多いですね。
昨年も今年も気になるのはコレ!
↓
どうして取ってしまうのかなぁ~?
そっとしておいてほしい・・・
じゃ、今日はこのへんで・・・
2016年 09月26日 21:39 (月)
ハイハ~イ!メグおばちゃんです。
昨日、今日はどうにかお日様を見ることができました。
主婦の方々はお洗濯が、
かなりはかどったのではないでしょうか?
昨日は、午前中は自治会の月例行事に参加。
昼食は、近くのファミレスへ母といっしょに行きました。
夏には食欲が落ちた母も現在は食欲モリモリです。
大好きなハンバーグをパクパク!
夫J氏に「○○ちゃん、ご馳走してくれてありがとう。
年金が出たら、今度はおばあちゃんがご馳走するから・・・」と
とても嬉そうにしていました。
夕食時に、「今日はお昼、何を食べたんだっけ?」と
ちょっと意地悪質問。
もうすっかり忘れていました。
珍しいことではありませんが、
そんな時はやっぱり少しがっかりです。
気を取り直して・・・
母がお昼寝の間に、
座間市にある「かにが沢公園」の彼岸花を見に行きました。
こちらでは<10万本の曼珠沙華>が見られるとのことでした。
座間はひまわりだけじゃない、曼珠沙華もいいぞぉ~!
彼岸花ではなくあえて、曼珠沙華!
全体的には少々見頃は過ぎていたものの、
遠目には、「良い所、見つけたぁ~!」という印象でした。
斜面に咲く曼珠沙華・・・
赤と白のコントラストに心惹かれました。
赤の間にちょこっと咲く白が利いています。
それでは、最後の輝きを見せる曼珠沙華をどうぞ。
座間市観光協会では、こんな取り組みをしていますよ。
じゃ、今日はこのへんで・・・
2016年 09月23日 16:49 (金)
もう、うんざりです!
毎日、毎日傘が手放せない生活!
場所や時間帯によっては大雨だったり・・・
メグおばちゃんにもカビが生えそうですよぉ~!
大好きなお洗濯も部屋干し中心だしね。
そろそろ青い空が見たいものです。
さて、季節のお花・彼岸花をアップされている方が
多くなりました。
皆さん痺れをきらして、
曇天や雨でも撮影にお出かけのようです。
季節のお花の旬は逃したくないですよね。
私は19日(月)に
藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町を流れる小出川の彼岸花を見に行きました。
見頃にはなっていませんでしたが、
田園風景と所々に咲く彼岸花を楽しんできました。
そんな彼岸花をせっかくですので、
ご紹介したいと思います。
子供の頃は、なんとなく敬遠していた彼岸花ですが、
今ではこんなに芸術的なお花は他にはないように思います。
この日はどんよりした曇り空でしたので、
写真は少々手を加えています。
クリーム色の彼岸花も撮りましたが、
ボケてました。
今年は青空の下での彼岸花・・・
私の場合は見られそうにありません。
来週になれば、少しはお天気が回復するのかしら?
期待して・・・
今日はこのへんで!
2016年 09月19日 21:09 (月)
相変わらず、お天気が悪い日が続いています。
気持ちも沈みがちになりませんか?
本日も朝からお天気が優れませんでしたが、
そろそろ季節のお花・彼岸花が気になって、
小出川( 藤沢市北部)の彼岸花の様子を見に行ってきました。
まずは、速報ということで・・・
まだ、咲き始めといった感じでしたよ。
つぼみが多かったです。
こちらでは、稲穂とのコラボが楽しめます。
過去記事ですが、
小出川の満開の彼岸花はこちらをどうぞ!
じゃ、今日はこのへんで・・・
2016年 09月14日 15:59 (水)
すっきりしないお天気が続いていますが、
皆様いかがお過ごしでしょうか?
昨日はどしゃ降りの中、朝一で、
久しぶりに横浜山手西洋館に行ってきました。
朝の大雨、さすがの観光地横浜も人出は少なく、
外人墓地前の道路を歩くのは、
私ともう一人の女性だけ・・・
「そんな経験もそうそうないかも?」
どしゃ降りの中、
雨を楽しむお気楽メグおばちゃんでした。
ただの変わり者ですね。
さて、9月の横浜山手西洋館ですが・・・
秋バージョンの装飾は、
山手234番館、エリスマン邸、ベーリックホール・イギリス館の4館。
その中で「お月見」をテーマにした、
山手234番館とエリスマン邸に今回は足を運びました。
4館それぞれの開催期間は微妙に違います。
「行ってみようかな?」と思われる方は、
山手通信などでチェックね!
【山手234番館】では、
シンプルな感じでお月見を表現してありました。
こちらは、サラッと拝見させていただきました。
道を挟んで反対側に位置する
【エリスマン邸】への期待が高まる!
【エリスマン邸】
こちらは、素敵でした。
装飾も素敵でしたが、またその作者の方と
お話させていただく時間をもてたことが、
作品を楽しむにあたり、とてもよかったと思いました。
こちらの装飾は、
アーティフィシャルフラワー&シャドウボックスのコラボでした。
舌をかみそうなカタカナが並んでいます。
「お月見のしつらえ」
写真は拡大できます。
フラワーアレンジの横や脇に置かれている額縁の作品が、
シャドウボックスと言われるものです。
フラワーアレンジメントは、
ほとんどの方がイメージすることができると思います。
じゃ、シャドウボックスって何?
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今回はどしゃ降りで、
朝一の見学者は私一人でした。
そんなことでお花の牧野美十先生、
シャドウボックスの田中敬子先生と
ゆっくりお話することができました。
お二人ともざっくばらんで、
明るく感じよく接して下さいました。
お花については、
色やお花の種類ともに私の好みで
楽しく拝見させていただきました。
シャドウボックスについては、
初めての出会いで、びっくりすることばかりでした。
お二人からは「ご縁ですから・・・」と
名刺をいただきました。
ちなみに、お二人は従姉妹さんだそうです。
その後、私がエリスマン邸を出る頃には、
雨も小降りになり入館者も2組、3組と増えていきました。
~追記~
気軽に声をかけていただきありがとうございました。
最初、エリスマン邸のスタッフの方かと思いました。(笑)
素敵なHP、また拝見させていただきます。
HP→★
大阪からご苦労様でした。
関西の方が盛んなシャドウボックスですね。
こちらにもどんどん進出して、広めて下さいね。
大阪・・・美味しいものがたくさんあるのですよね。
絶対に行きます!
(大阪市生涯学習インストラクター)
ペンをお借りしましたね。ありがとうございました。
日々精進、がんばって下さいね。
2016年 09月10日 15:39 (土)
ハイハ~イ!メグおばちゃんです。
浦安歩きの記録、今回で3回目の更新となります。
浦安の町を散策して、たどり着いたのが、
【浦安市郷土博物館】でした。
なかなか充実した博物館でしたよ。無料だし・・・(笑)
浦安の歴史をいろいろな形で展示しているのですが、
ことに印象的なのは、屋外の展示場です。
猟師町・浦安が一番活気づいていた昭和27年頃が再現されています。
移築された建物や再現された建物・・・
内部にも入れるので、昭和を感じることもできました。
それでは、ご紹介しましょう。
↓の地図の赤い部分が漁師町・浦安です。
白い部分は埋め立てです。
昭和27年頃、賑わっていた頃の浦安を再現。
クリック→前記事のフラワー通り辺り。
母から聞いた話だと、私のオムツもコレ↑で洗っていたそうです。
実物が残っているのは全国的にも珍しいそうです。
フラワー通りに面して建っていたものを移築。明治38年頃の建物。
大正15年頃の建築で大正~昭和にかけての標準的な商家の造りだそうです。
主人公がよく行く店として描かれているそうです。(再現)
休憩スペースになっていて、クーラーがとてもよく効いていました。
お茶の用意もしてありました。(無人)
字数が多すぎて、ちょっとやそっとでは読みきれませんけど・・・
海苔の養殖や貝を採って生活をしていた浦安の漁師たち。
過去800年間に約50回もの高波被害に遭い、
全村が壊滅的な被害を受け、
また復興するという歴史を繰り返してきました。
そんな自然との闘いの歴史の中で、村人たちの連帯感が生まれ、
とても人情に厚い地域となったそうです。
そして、時は流れ、
自然との闘いに加え、
自然を破壊する者との闘いもありました。
昭和4年には、
東京の人糞処理工場を猟師町・浦安に作る計画がありましたが、
村民が力を合わせ回避。(高波で人糞が町にあふれることが予想された。)
昭和14年にもまた、
人糞処理工場進出の計画が持ち上がりましたが、
これまた村民の力で中止させたのでした。
昭和33年には、
江戸川上流の本州製紙の「黒い水」事件で、
海の汚染が明らかになりました。
警察との衝突により、負傷者・検挙者を出しながらも
国会に問題提起するような大事件となりました。
その事件は日本で初の水質保全法誕生のきっかけとなったのでした。
そして時代はさらに工業化へ・・・
水質悪化により、漁業が難しくなり、
漁師町・浦安は、町のあり方自体を考えるべき転換期を迎えたのでした。
将来、子の世代、孫の世代が暮らしていける町を考えよう!
そして漁業権の一部放棄、
浅瀬を埋め立て学園都市を作ること、
大人も楽しめる大きな遊園地を誘致することなど、
思い切った方向転換を決断したのでした。
ちなみに大きな遊園地の構想については、
私が生まれた昭和33年~34年頃にはすでに持ち上がっていたようです。
昭和39年には埋め立て開始。
昭和46年には漁業権の全面放棄となり、
漁師町・浦安は実質的にはなくなったのでした。
ある参考資料(ネット)には、
「自ら漁業の歴史を閉じた。」と記されていました。
埋め立てにより、浦安市の面積は4倍に広がり、
その後は多くの人がご存知の発展へと
向かっていったのでした。
私が今回浦安に興味を持ったのは、
夢の国・ディズニーリゾートが
いきなり埋め立て地に出現したのではなく、
長い年月をかけて地元民の苦悩や
将来への希望の上に出来上がったことを
知っていただきたかったのです。
漁師町・浦安の人々の相互扶助と一致団結の精神で
乗り越えてきた様々な困難については
こちらの【浦安市郷土博物館】で詳しく知ることができます。
思いつきで行った千葉県・浦安散歩でしたが、
奥が深かったです。
夏の静岡旅行に引き続き、
長い記事にお付き合い下さいましてありがとうございました。
じゃ、今日はこのへんで・・・
なお浦安の歴史については、
ネット検索・浦安市郷土博物館展示やリーフレットを参考に、
私がまとめたものです。
間違いや誤解があるようでしたら、
お知らせ下さいね。
2016年 09月07日 16:39 (水)
(拡大可)
ハイハ~イ!メグおばちゃんです。
明日いよいよ、台風が関東にも来るようですね。
さて、どんな台風なんでしょうか。
被害が出ないことを祈ります。
さて、本日のお話は、
先日歩いた浦安の町のご案内になります。
いきなりの地図の提示でびっくりでしょうけれど、
土地勘のない方にはちんぷんかんぷんのお話になってしまうので、
はじめに出しておきました。
旧江戸川と書いたところを川沿いに歩いたメグおばちゃんです。
お天気が悪いので、写真がとても暗いです。
どうしてまたこんなに日に・・・モノクロの世界ですね!
遠くに見える鉄橋が東京メトロ東西線が走っている橋です。
東西線は昭和44年に開通。
それまでの浦安は陸の孤島と呼ばれるほどアクセスが悪かったようです。
メグおばちゃんがちょうど小学校の高学年にさしかかった頃かな?
皆さんは何歳だったかしら?
実際はなかなか川幅があります。
モデルになっているお宅です。
青べかって何?
私も原作を読んでいないので、
簡単に言うと海苔や貝を採るための木造の小舟のことです。
また実物については浦安の続編でお見せすることができると思います。
山本氏がこの地に住んで経験した、
浦安の文化・漁師さんの生活などが
長・短合わせて30篇にまとめられたものが、
【青べか物語】となっているそうです。
ここで旧江戸川とはお別れして、
境川という町の中を流れる川のほとりを歩きました。(境川西水門)
【清瀧神社】
1196年(建久7年)創建
現在では、この辺りは内陸部にありますが、
1293年(永仁元年)の大津波(高潮)で本殿が破損、
元禄・享保・寛政年間にも同じ難に遭っているそうです。
埋立地以外の本来の浦安は、海から近く、
水害→復興の歴史を繰り返していたということのようです。
浅間神社もありました。
富士山信仰があったのでしょうか?
ケヤキの木、一本からできているらしいです。
竜宮城や浦島太郎などが彫刻されています。
フラワー通りという商店街らしき通りがあります。
こちらは、埋め立てられる前の基本の浦安時代には、
町の中心だったところです。(赤部分)
昭和27年頃が全盛期で演芸場や映画館、
日用雑貨のお店、飲食店が立ち並んでいたそうです。
今では、住宅街の中にお店や銭湯がポツンポツンとあるだけで、
商店街のイメージはまったくありません。
ここで反省!私ってブロガーとしてどうなの?
語っておいて写真を撮っていませんでした。
それほど住宅やマンションが立ち並ぶごく普通の通りでした。
覚えていらっしゃいますか?
「天才たけしの元気が出るテレビ」。
こちらは元気のない商店街を元気にするという企画に
登場した商店街でもあります。
テレビに出た時は、多くの人がこちらを訪れたそうですが、
その後はまた、閑散としたとか・・・
参考→フラワー商店街
そんなフラワー商店街の中に、
漁師町だった明治時代からの古民家がありました。
↓浦安市指定有形文化財になっています。
明治2年に建てられた商家です。
年代がはっきり分かるものとして、浦安市最古の住宅でもあります。
こちらは、江戸時代からの名主の分家でした。
商家の造りで、この木の戸の奥は土間になっていて、
入ってすぐの場所が商談をする場所になっていました。
屋根裏部屋に荷物などを上げられる造りになっていました。
もう一軒は、【旧大塚住宅】
こちらは、かやぶき屋根の住宅です。
千葉県指定有形文化財となっています。
こちらは、漁業と農業を営んでいたお宅です。
水害対策ですね。
浦安で最初の洋風建築物で、
昭和4年(1929年)に建てられたようです。
平成まで診療が行われていたそうです。
現在は、お子さんの集いの場のようです。
外観は洋風ですが、和室もありました。
和洋折衷ですね。
浦安散歩、もう少し続きます。
よろしかったらお付き合い下さいね。
じゃ、今日はこのへんで・・・
2016年 09月06日 15:29 (火)
9月4日(日曜日)朝6時出発で、
千葉県・浦安市を目指したメグおばちゃん夫婦です。
浦安と言ってもディズニーランドに行ったのではありませんよ。
埋立地ではない、昔からの漁師町・浦安をちょっと歩いてみました。
余談ですが、ディズニーランドへ向かう道路は、
朝7時でも渋滞していました。
皆さん、出発早いですね。
初めての<東京ゲートブリッジ>
そうこうするうちに浦安市に突入。
今回は、↓の地図の赤い部分(白い部分は埋め立て地)を散策しました。
浦安って知っているようで意外に知らない場所・・・
ディズニーランドだけじゃない、
元漁師町が歩んできた、自然との闘いの歴史、
企業や行政との闘いの歴史があったこと、
知りませんでした。
知らないことを知る喜びを体験できた散策でした。
三つの地域がひとつになって・・・
そこが基本の「浦安」地域となりました。
それでは、まずこちらからスタートです。
↑朝4時から営業しているそうですよ!
業者・一般、誰でもお買い物ができる市場です。
もちろん、内部にも入りましたが、
これから歩き始めるので、残念ながら今回は何も買いませんでした。
鮭の切り身の超厚切りや貝類・海苔などお買い得品がたくさんありました。
狭い店舗のお寿司屋さんやてんぷら屋さんも
朝から大盛況でしたよ。
「東西線浦安駅近く、【浦安魚市場】いいですよ!」って、
宣伝しても一銭もメグおばちゃんには入りませんけどね!(笑)
じゃ、今日はこのへんで・・・
2016年 09月05日 14:39 (月)
ハイハ~イ!メグおばちゃんです。
本日は私の夏休み旅行記の最終章となります。
長々と書き綴ってまいりましたが、ようやく終わりです。
清水→オクシズ(奥静)→駿府城→丸子宿・宇津ノ谷→焼津→島田宿・・・
こんな感じで巡りましたが、
今回は見どころ満載、なかなか盛りだくさんな旅となりました。
そして帰り道、最後に立ち寄ったのが、東海道・日本橋から16番目の
「由比宿」でした。
またまた出ました。この地図、便利です!
3日目になるとそろそろ疲れが出てきて、
こちらは、サラッと見学しました。
こちらは、皆さんもよくご存知の桜海老の大産地で有名ですね。
そしてツナ缶で有名な<いなば>もこの由比の企業のようですよ。
こちら本陣エリアが宿場の中心となっています。
江戸の宿場の雰囲気を感じながら・・・
そして現在の人々の生活感も受け止めながら・・・
散策しました。
窓の外はなかなかの眺めでした。
今回の旅行、最後のお食事です。
写真ボケてます。(笑)
私は釜揚げしらすと揚げた桜海老
(かき揚げではありません。)
お腹いっぱいになり、満足して家路についたのですが、
帰りにiPHoneをなくてしまい、絶望的な夜を過ごしました。
しかし、なんのことはない・・・
車の座席の真下に落ちていたのを、
翌朝発見したのでありました。
とんだ思い出がひとつ増えた、2016年夏の旅でした。(汗)
自己満足な長~い旅行の記事でしたが、
お付き合い下さいましてありがとうございました。
じゃ、今日はこのへんで・・・
2016年 09月03日 15:19 (土)
ハイハ~イ!メグおばちゃんです。
またお天気下り坂のようですね。
がっかりです。
さて、メグおばちゃんの静岡旅の記事もそろそろ終盤。
やっとここまで、こぎつけました。(笑)
焼津インターそばのビジネスホテルを出発して、
向かったのは、東海道の「島田宿」です。
こちらも鬼平犯科帳に出てくる宿場です。
(コメント欄は閉じています。)
また、この地図を活用させていただきますね。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
↑江戸時代の東海道の難所・大井川を表しています。
どこかで耳にした方も多いかと思います。
大井川は、急流で雨が降るたび、
向こう岸に渡れなくなったそうです。
お伊勢参りなど一般庶民の間にも旅をする人が増え、
この「島田宿」で足止めとなっていたそうです。
なかなか水かさが減らず、
1ヶ月近くこの「島田宿」で過ごすことになった旅人もいたとか!
散財することになりますね!旅人泣かせです。
そんな訳でこちらの宿場は旅人で
賑わい、繁盛したらしいですよ。
遊女なども多かったそうです。
そんな彼女たちが江戸時代の文化の発信者!
遊女たちがしていたの日本髪の一種で、
島田髷(しまだまげ)が、当時、大流行!
はじめは遊女たちだけの髪型でしたが、
そののち一般女性の間でも流行ったそうです。
文金高島田などのルーツもここ「島田宿」でした。
島田髷については諸説あるそうですが、
現在、島田宿が発祥ということが通説となっています。
大井川のほとりが文化の発祥の地、
その当時の宿場の繁栄がこんなことからも
容易に想像できるのではないでしょうか?
建物は復元
こんな感じの人に担いでもらって川を渡ります。
「島田宿」の町並みの途中に、<島田市博物館分館>があります。
郷土の歴史を知る上で重要な品々が展示されていました。
<島田市博物館分館>があるからには<本館>もあるはず!
こちらが<島田市博物館>です。
大きい建物です。立派です!
しかし、お盆のお休みだというのに、
お客さんは私たち二人だけでした。
よその町の悪口は言いたくはないのですが、
建物だけ立派で、展示内容は・・・アレレッ?薄いです。
その内容ならもう少しコンパクトな建物でも十分だと思いました。
頭の中には「無駄」の二文字がグルグル・・・
「島田宿」を守りたいなら、力の入れ方にもうひと工夫が必要かな?
ちょっと毒を吐きました!
この博物館の目の前が、大井川でした。
やっぱりここまで来たからには、
大井川の広さを感じてみたい!
渡ろう!
車ですけど・・・
お天気が悪くて残念でしたが、
越すに越されぬ大井川を体験できてよかったです。
次は、いよいよ・・・静岡旅・最終章です。
じゃ、今日はこのへんで・・・