2020年 12月29日 16:14 (火)
2020年 12月28日 17:17 (月)
2020年 12月26日 14:00 (土)
2020年 12月25日 15:48 (金)
2020年 12月24日 15:29 (木)
2020年 12月23日 15:02 (水)
こんにちは!メグおばちゃんです。
先日、お片付けをしていたら、
「お~っ!懐かしきアベノマスク」が出てきました。
もちろん新品、未開封!
2020年4月・5月は新型コロナで
不安の嵐が日本中を吹き荒れていました。
日本だけではなく世界中・・・
今は取り巻く状況は当時とは少し変わったものの、
ウイルスが強毒化するなどまた違った不安が襲ってきそうです。
対策は後手後手、自分の身は自分で守る・・・
もう、限界を超えていますよね!
質が悪い新型コロナウィルス!
闘いはまだまだ続きます。
さて、本日は富士山ネタはちょっとお休み!
毎年 季節を感じに三浦海岸<大根干し>を見に出かけます。
みうら景観資産となっており、
三浦海岸の冬の風物詩となっています。
美味しい沢庵ができますように!
だいぶ水分が抜けて、しなびてきていますね。
対岸は房総半島です。
お天気が良い日だったので、くっきり!
2月の上旬までこの光景は見られます。
2020年 12月22日 14:01 (火)
2020年 12月21日 16:23 (月)
こんにちは!メグおばちゃんです。
昨日はお天気が良かったので、
神奈川県逗子市の【披露山公園(ひろやま)】から
富士山を見てみることにしました。
昭和33年に公園として開園したそうですが、
戦時中は海軍小坪高角砲台として使われていました。
標高約92mの披露山はそれはそれは遠くまでよく見えますから。
相模湾越しに富士山はもちろん伊豆の天城山まで見えます。
↑天城山
披露山の披露というのは、
おめでたいことや良いことを公表するという意味ですが、
鎌倉時代将軍に献上物を披露した場所、
あるいはそれを管轄する役人が住んでいたともいわれています。
こちらは、富士山を見るにはとてもいい所で、
ここからの景色を年賀状に使ったこともあります。
さて、本日の本題・・・
富士山の雪のことなのですが、この時期ととしては、
めったに見られない様子なのです。
↑2016年12月18日に撮影した富士山は、
よく見かける雪の被り方ですね。
しかし、現在は、見たことない光景です。なんだかしんぱ~い!
不思議な現象に思えますが、ウェザーニュースによると・・・
富士山周辺は11月以降の降水量が少ないことで、山頂近くまで冠雪のない姿となっていました。
昨日14日(月)は、伊豆大島付近から静岡県東部にかけて、
昨日14日(月)は、伊豆大島付近から静岡県東部にかけて、
北東の風と西風がぶつかり合う場所でシアーラインと呼ばれる雲の帯が形成されました。
さらに夜にかけて弱い前線帯が通過したため、
富士山の東側の一部だけ雪が降ったとみられます。
このため、富士山の御殿場側(東から南東)だけが白く雪化粧をした、
このため、富士山の御殿場側(東から南東)だけが白く雪化粧をした、
面白い姿になってしまった模様です。
積もった雪はそれほど多くありません。
積もった雪はそれほど多くありません。
強い風によって雪煙が見られているように、
数日のうちにはほとんど雪がなくなってしまう見込みです。
(2020年12.15)
よかったです。理由がちゃんとありました。
ただでさえ温暖化だの噴火だの地震だのと話題の多い富士山ですから。
そうそう、この披露山公園には、お猿さんやあひるなどの小動物もいます。
寒いのかな?体を寄せ合って!
じゃ、今日はこのへんで・・・
2020年 12月19日 16:28 (土)
2020年 12月18日 16:41 (金)
こんにちは!メグおばちゃんです。
今日もまた横浜・本牧【三渓園】のお話です。
こちらの日本庭園には京都や鎌倉から移築された建造物が
点在しています。
その中のひとつに三重塔があります。
【三渓園のシンボル的な建造物です。
↑写真は【三渓園】HPより
この三重塔は、
京都の衰退した寺院・旧燈明寺から大正時代に移築されました。
【三渓園】の重要文化財の中でも一番古い建物です。
三重塔自体は、室町時代のものだそうです。
横浜山手西洋館もそうなんですが、
日本の移築の技術は素晴らしいです。
小高い丘の上に建つ三重塔からの眺めです、
眼下に見える屋根は旧燈明寺本堂です。
こちらも室町時代の建造物です。
移築は昭和62年になってからで、原三渓氏は見てないですね。
原さんは、昭和14年に亡くなっていますから。
もう少し目を左に向けると町が見えます。(写真なし)
小高い丘の尾根伝いに進むと視界が開けます。
展望台を下から見たところです。
現在は工場やコンビナートが立ち並び、
高速道路が走っています。
海は工場地帯の先にあります。
しかし、原三渓さんが生きていた時代には、
展望台のすぐ下まで海だったのです。
夫J氏によれば、
小学生の頃まで、この展望台の眼下は海だったそうです。
「子供の頃、潮干狩りしたよ!」と語る夫!
現在、【三渓園】南門駐車場や公園、
さらに工場地帯も今見える景色はぜ~んぶ埋立地なのです。
昭和39年頃は、夫J氏が言うように、たしかに潮干狩りをしています。
証拠写真↓
さらには・・・
この海水浴客の数・・・人気海水浴スポットだったようです。
埋め立て、埋め立て、埋め立て・・・
高度経済成長の波に乗って、
自然より、経済成長や利便性を追求したのですね。
昨今の世界的な大規模自然災害や新型コロナウィルスは、
大きな見えない力の
人類に対する復讐かも?なんて思ったりするこの頃です。
う~ん、私は何を言いたいのか?
とりとめのないことを・・・
じゃ、今日はこのへんで・・・
上の白黒写真は↓の本からの引用です。