ふと、お仏壇に目が行った。
この朱の小さなお盆が、お仏壇…。 これ、駱駝の骨で作られた小箱。 遺髪が入っているのです。父の。 ふと、思い出した。 介護の日々を。父の温かい心に触れた日々を。 それがあれば、良いではないか。 私は、愛されていたのだ。 あの父の置き土産のような日々を思い出す。 親に愛されるということはこんなに勇気をもらえることなのかと、驚く。 ふっとこわばった身体の力が抜ける。 「この世にいてもよい」という免罪符を得たような気さえする。また…、それは…大袈裟な…。と思えるのは、普通の家庭に育ったひと。そうなのだ…。 私のように育つと、どんなに世の中に奉仕しても、邪魔者のような、除け者のような、嫌われ者のような、そんな感覚がどうしても拭いきれない。 日本全国全員が、私を嫌っているように感じる時さえある(笑) 父と心が通ったことを思い出したら、少し心に芯ができたような気がした。 甘い香りのお香を炊きました。 「あなたがいるとイライラするのよ!」 そんな母の叫び声が未だに身体に染み付いている。ふいてもふいても拭えない、お化けの様な悲しみが頭をもたげてくる。コレはきっと取り除けない。一生。だから「心的外傷」なのだもの。 でも、最期の最後、私は、父に認めてもらった気がした。 父の枯れ木のような腕をさすることができた。 抱きしめてもらうことができた。 直接は、私とダダと息子を順番に抱きしめた。 嬉しかった…。 忘れていた父との最期の日を思い出した。 ようやく税金を払い終わって、ようやく全て終わったと思った矢先に、起きた実家泥棒事件や、ここには書いてはいませんが、お金の管理のことで、再び、図らずも母と弟と関わってまた嫌な思いをして、自分を責めていた。また私は、50年前の自分に戻って傷ついていた。 もう、分別のあるおばちゃんなんだから、そこへ戻ることはやめよう。 で、戻りたくなくても戻ってしまうのなら、父を思い出そう。苦しくなったら、父との最期の日々を思い出そう。 そうして、『自分は生きててもよいのだ。自分だって自分の家族には欠かせない大事なメンバーなのだ。そして、愉しいことしてよいのだ。嬉しくてよいのだ。人生を愉しんでよいのだ』と、言い聞かせる。 今日は、お仏壇に、小さく薔薇を供えました。 そして、カミュというブランデーを。父が好きだったので。 とろりとした琥珀色のブランデーを、愛用のグラスに。 『お父さん、素敵でしょう。今年もお庭に薔薇が咲きました。』 華やかなお仏壇の出来上がり。 もう五月なのね。 あれからそろそろ一年が経つ。 |
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Author:Dolce
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