第1回「君にバトンタッチするね」二重被爆の祖父が託した真意
コロナ禍の中で迎えた戦後75年の夏。広島と長崎の二つの被爆地を結び、あの日から今日、そして未来へとつなぐ思いを込めて、「二重被爆者」の山口彊(つとむ)さんの孫、原田小鈴さんと広島の被爆2世、甲斐晶子さんに手紙を交わしてもらいます。
甲斐晶子様(ナガサキ→ヒロシマ)
甲斐晶子様
初めまして。原田小鈴です。祖父は、広島と長崎で2度被爆した「二重被爆者」の山口彊です。
2010年に祖父が他界して、10年の歳月が経ちます。
私は「二重被爆3世」として2011年から祖父の体験を語り継ぐ活動をしています。
北海道から沖縄まで全国で祖父の被爆体験と被爆者家族の話を伝えています。
被爆から75年が経ち、被爆者本人から話を聞ける最後の世代が私たちです。
だからこそ、お話が聞けるこの時に被爆者本人から体験を自分の耳で聞いて、心で感じてほしいと皆さんへ伝えています。
被爆3世の活動についても質問されます。
「原田さんはどうして被爆3世として継承活動を続けていこうと思ったのですか?」
「活動していく中で一番心に残ったことはありますか?」
「講話をすることにより、どんな風に変わると思いますか?」
「2度も被爆を受けたと聞いて、どのように思いましたか?」
広島・長崎の被爆の実相はまだまだ、全国には知られていません。県外で語れば、被爆は伝染病だと思い込んでいる人もいます。二重被爆者の孫だと知れば、気の毒そうな表情で「被爆3世ですかぁ」と心配されたこともありました。
祖父は私が6歳の時に2度の被爆体験を教えてくれました。一緒に被爆遺構を巡り、原爆資料館に行った記憶があります。
戦争や原爆は絶対に忘れてはいけない。
世の中のことがよく理解出来ていない、6歳の私が祖父から率直に感じたことです。
甲斐さんはお父様から何か申し送りはありましたか?
祖父の晩年、被爆2世の母と付き添いをしながら証言活動を間近で見ることはあっても、私が祖父の被爆体験を語り継ぎたいなどとは思っていませんでした。祖父も生前、自分の体験を私に語り継いでほしいと言ったことはありませんでした。
その後、息子を出産したばか…