高齢の親は今の家で安心して最後まで暮らせるのだろうか。そうした不安を感じる子世代は少なくない。特別養護老人ホーム、有料老人ホーム、そしてサービス付き高齢者向け住宅など高齢期の住まいは多様化している。末期がんで余命6カ月と宣告された80代の女性の最後の日々から、高齢期の住まいの課題やあるべき姿を探った。
母が最後に過ごした住まい
横浜市の松宮昌代さん(63)は久しぶりに母・松上美津枝さんの「住まい」を訪れた。「ここに来ると『ただいま』とつい言っちゃうんですよ。毎日のように顔を出していたから」
サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)「ファミリー・ホスピス本郷台ハウス」(横浜市栄区)は、美津枝さんの「ついのすみか」となった。ここで3カ月余りを過ごし、亡くなった。2017年5月3日。83歳だった。
その年の1月。美津枝さんは末期の胃がんと告知された。体調を崩しがちで、貧血の症状が頻繁に表れ、長時間歩くのが難しくなっていた。余命は6カ月、積極的な治療は難しい状態だった。「母は気が強い人だったけど、ショックを受けていた」
美津枝さんが望んだのは、「苦しいのと痛いのは嫌」。検査を受けた病院で相談に乗った医師らから提案されたのは、末期がんの患者を受け入れている病院か、ホスピス機能のある施設か、だった。
親が安心して暮らせる場所は
病院なら費用面では不安はないものの、面会時間など決まりも多く、気兼ねなく会うのは難しくなる。美津枝さんは昌代さん家族と同居していて、訪問診療などを使いながら「自宅で最期まで」も選択肢の一つだった。ただ、浴室は狭く、バリアフリーにする工事が必要。昌代さんは仕事をしており、つきっきりで介護をするのも難しかった。
昌代さんは、相談した看護師から紹介されたファミリー・ホスピスを見学した。ファミリー・ホスピスは「終末期を自分の意思で自由に暮らすことのできる住まい」を目指している。日本看護協会の「がん性疼痛(とうつう)看護」の認定看護師がいる訪問看護や訪問介護の事業所が併設され、本人や家族が望めば利用できる。
現在はコロナ禍で面会に制約があるものの、普段はいつでも面会が可能。食事制限も原則ない。個室の居室は25平方メートルほどの広さで、訪問した人が泊まれるようにソファベッドもある。トイレもベッド近くにあり、できるだけ自分で行けるよう配慮している。他の入居者と共用のリビングスペースもある。
美津枝さんは当初、昌代さんが中心になって決めたことに対して反発し、ファミリー・ホスピスに入ることは消極的だった。
でも、入居後は他の入居者とリビングで頻繁に食事を共にし、「近所づきあいのようだった」(昌代さん)。家族や友人は毎日のように美津枝さんのもとを訪れ、同じ部屋に泊まることもあった。ときには外出してすし屋に行った。「こんな素敵なおうちは人生で初めて」。いつしかそう言うようになった。「きつい性格だったけど、どんどん柔らかくなっていくのを目の当たりにした」
母の変化を喜びつつ、昌代さんの頭を悩ませたのは「お金」の問題だ。サ高住は権利金や礼金などといった費用の徴収は禁止されている。多額の入居一時金などはいらなかったものの、家賃15万円のほか、共益費や食費などの固定費、さらに介護保険や医療保険の自己負担分などを含めると月々30万円ほどかかっていた。母の年金だけでは足りず、昌代さんや弟が補った。
このころ松宮昌代さんは、費用についての思いを日記につづりました。その思いとは。このほか記事の後半では、サ高住の制度概要や、問題点と指摘される「囲い込み」などについて解説しています。
当時、昌代さんは日記にこう…