第2回「死の支部」で続く容赦ない拷問 少年は「感情のない怪物」になった
シリア西部バニヤスで暮らしていたオマル・アルショグレ(26)は15歳だった2011年3月中旬、いとこからの電話を受けた。「町で何かすごいことが起きているみたいだぞ」
父の運転で町の中心部に向かうと、数千人が集まっていた。熱気に包まれた雰囲気が楽しくてたまらなかったが、「なぜみんなが集まっているのかはよくわからなかった」。
前の年に始まった中東の民主化運動「アラブの春」はチュニジア、エジプトで独裁政権を倒し、11年3月にはシリアにも波及した。オマルが目にしたのは、地元で初めて起きた反アサド政権のデモだった。
その後、アサド政権による市民への締め付けが強まった。身分証明書をチェックされたり、つくった詩を問題視されたりして、何度か捕まったが、短期間で釈放された。
しかし、12年11月にいとこ3人と捕まった時は事情が違った。拘束から1カ月たつと、地元の施設から別の施設に身柄を移された。看守が交わす会話やほかの収容者の話から、そこが首都ダマスカスの「215支部」だと知った。
シリア国内には治安機関が管理する収容施設が数十カ所あり、ダマスカスには特に集中しているとされる。なかでも軍事情報部が管理するとされる215支部は「死の支部」という異名をとり、国連の調査委員会は「最も死亡者数が多い施設」の一つに挙げている。
「今世紀最悪の人道危機」とも呼ばれるシリア内戦。アサド政権下で数万人規模の市民が姿を消し、秘密施設での拷問によって多数の死者が出ていたという報告があります。この疑惑についてアサド政権は完全否定しています。24人の元収容者がシリア国外で語った証言から実態に迫りました。記事後半では、様々な拷問を受けたオマルの思いを描きます。
「ドイツ椅子」と呼ばれる拷問
通算2年半超に及ぶ拘束生活…