美輪明宏さん「寂聴さん、人々に渇望されていた」 長く親交

 作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが9日、99歳で亡くなった。長く親交のあった、歌手・俳優の美輪明宏さんが悼んだ。

 初めてお会いしたのは寂聴さんがまだ無名だった50年以上前でした。何かの取材で、私が当時住んでいた新宿のマンションにいらっしゃった。

 寂聴さんは戦争を生き抜き、私も原爆に遭ったので、同じ反戦派。すぐに仲良くなりました。

 人をもてなすのが大好きで、有名になられてからはいつもお食事をごちそうしてくださいました。お肉を食べながら「私は破戒坊主だから」と笑っていました。

 京都に寂庵を構える前、東北のお寺にいらした時、寂聴さんの法話を聞きにくる人が数千人も集まりました。私も片棒を担いで、一緒にお話をさせて頂いたこともあります。

 一番の功績は、やっぱり人助けでしょうね。自然体で人々の相談に乗っていた内容が人々の口づてに広まって、大勢の人が寂聴さんを頼るようになりました。組織を使ったわけでもなく、自然とそうなった。人々に渇望されていた。

 私たちは、戦争が始まる前のモダニズムの時代、戦中、戦後の時代をともに経験してきました。昨日まで正義といわれた帝国主義が悪徳になって、悪徳といわれた自由や民主主義、社会主義が正義になった。あらゆることが白から黒へ、黒から白へ変わった時代を生きてきた人です。

 それでも、「若い頃はとにかく、生きたい放題、やりたい放題、生きてきた。何の悔いもない」とおっしゃっていました。

 ご自身が色んなことを体験なさっているから、他人の気持ちが分かったのだと思います。何人分か、何十人分かの人生をくぐりぬけてきたからこそ、しっかりとした身の上相談も受けることが出来たのでしょう。

 寂聴さんの周囲には、若い人たちが自然と集まり、お世話する人もいました。そういう意味では、幸せだったと思います。

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