第1回学生運動の敗北、実感した野音 崔洋一の映画への道はそこで開かれた
映画監督の崔洋一さんが半生を振り返る連載「けんか上等の映画人生」。全3回の初回です。
《軽妙な「月はどっちに出ている」(1993年)と重厚な「血と骨」(2004年)。在日コリアンのリアルを描いた2作は、自身のルーツとも結びつき、彼の代表作と言われる。そう水を向けると、意外な答えが返ってきた》
40~50代の脂の乗った時期の作品であり、ありがたいことに評価もいただいた。でも死んだ時に棺桶(かんおけ)に入れてほしい作品はこの2本ではありません。「友よ、静かに瞑(ねむ)れ」と「マークスの山」です。
《前者の原作は北方謙三のハードボイルド、後者は高村薫の直木賞受賞ミステリー。いずれも「在日」がモチーフではない》
僕の父は在日1世で、母が日本人です。東京朝鮮中高級学校高級部の3年間が僕の原点を作っています。出自と作品との関係については、いくらでも理屈をつけることが出来ます。でもね、自分の中では「在日」というくくりに、もう飽きちゃってるんですよ。またその話かよ、という感じでね。
僕は朝鮮人集落で育ったわけでもなく、民族教育も大して受けていません。どちらかと言えば冷めた目で見ているのかもしれません。ただ「在日」社会が物語の宝庫であることは間違いありません。本当に混沌(こんとん)としていて面白い。そのリアリズムを、僕は体感として知っています。だから「月」や「血と骨」を撮れたのは確かです。
07年、韓国に渡ってチ・ジニ主演の「ス SOO」という作品を撮りました。それで分かりましたが、僕はやっぱり日本の方が作りやすい。人間は、母語が何かということにかなり縛られるんですね。韓国語の世界では僕はお客さまでした。現地のスタッフと毎日ケンカをしていました(笑)。
大島渚とのひそかな「出会い」
父は在日1世の崔斗煥。通名を遠坂寛と言います。母の姓です。日本共産党の中央委員で、戦後レッドパージに遭っています。母は遠坂ツヨ。熊本の素封家の娘で、祖先は細川忠興に従って関ケ原の戦いに参加したそうです。
《2人を結びつけたのがツヨ…