第4回「ケアする人にもケア必要」気づかぬ社会と無関心な政治、その背景

有料記事息子はヤングケアラー ある家族の物語

聞き手・畑山敦子
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 家族のケアを担う「ヤングケアラー」の人たちが抱える困難。同志社大大学院教授の岡野八代さんは、その背景には「ケアする人にもケアが必要」ということに気づかない社会の問題があると指摘する。なぜ、ケアする人への無関心が生まれるのか。フェミニズムの観点からケアの価値や倫理を論じる岡野さんに聞いた。

 ――そもそも、「ケア」とはどのようなものと考えますか。

 ケアを受ける人が何を必要としているかに気を使い、身の回りの世話から安全の確保など、ケアを受ける人が生きるために必要なものを満たす営みであり、実践です。

 高齢や障害がある人の介護から子育てまで、公的なケアが足りないところは家族が引き受け、「ブラックボックス」になってきました。ケアは女性的な営みとして、無償であっても有償であっても、その価値が低く評価されてきました。これは、ケアの社会的意義を巡る政治の無関心から生じています。

記事後半では、岡野さんがケア論を研究するきっかけとなったある女性哲学者の言葉や、介護労働者の不安定雇用、人手不足に潜むジェンダーの課題について語っています。

 ――子どもがケアを担わざるをえない状況をどうみますか。

 子どもたちがケアのために学校に行けなかったり、本来ある能力をのばせなかったり、そもそも本人がケアされる必要がある存在なのにされない、というのは心が痛みます。

 ただ、たとえば世の中には障害のある子どもを育てるシングルマザーもいます。そこにある悩みも同じだと私は思います。

 ――同じ悩みとは、どういう意味ですか。

 子どもらしい生活を送れてい…

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この記事を書いた人
畑山敦子
デジタル企画報道部|言論サイトRe:Ron
専門・関心分野
人権、ジェンダー、クィア、ケア