第3回あと4年で日本でも?ブタ臓器を人へ…世界が驚いた日本の研究と衰退
日本で「臓器移植法」が成立し、脳死の人からの臓器提供が可能になったのは、1997年のことだった。
実は、その10年以上も前から、日本でも動物からヒトへの「異種移植」の研究は始まっていた。そして、世界をリードする研究も――。
85年秋。地方の病院で研修医を終えた宮川周士は、大阪府立成人病センター(当時)で、異種移植の拒絶反応のしくみを探ることになった。
米国では、78年に移植後の拒絶を抑える免疫抑制剤が登場して以降、脳死した人からの心臓移植が広がり始めていた。
一方、提供できる人の心臓の数には限りがある。80年代後半ごろには、米国で心臓移植の「待機リスト」が増えていた。
そして、世界は動物の心臓に注目し始めていた。
だが、動物の心臓は、移植したときの拒絶反応が人の心臓以上に激しい。
ところが、なぜ拒絶されるのか、詳しいメカニズムはわかっていなかった。
「やってみろ」
周囲からの後押しもあり、宮川は意気込んだ。「やってみよう!」
マウス、ラット、モルモット。
どれも齧歯(げっし)類だが、マウスとラットは比較的近縁で、ラットとモルモットは遠い関係にある。
モルモットの心臓をラットに移植すると、わずか20分で拒絶される。
この強烈な「超急性拒絶反応」を見た別の病理の医師は、珍しそうに驚いた。
「これはすごいな。血管がやられて、赤血球が組織にブワーッと出ているぞ」
「難しいな。拒絶がきつすぎて、異種からの心臓移植はちょっと実現まで遠いんちゃうか」と宮川は感じた。
強烈な拒絶、仕組み解明に世界から反響
それでも、「自分にはこれしかない」と言い聞かせ、超急性の拒絶反応の解明に取り組んだ。ほかの研究者から、「変わったことやっているな」と思われていたとしてもやりきる。その覚悟を決めた。
宮川の頭には、ある仮説があった。
ほんの数分もあれば拒絶反応…
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