上野駅で死んだ幼児、盗みで生きる僕 救ったのは血縁のない「ママ」

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長富由希子
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 1945年6月7日にあった大阪大空襲で、12歳の筒井利男さんは家族とはぐれた。自宅も焼けた。

 「帰るところがなく、大阪駅に1人で行くと、同じような子がたくさんいて、仲間に入れてもらった」

昼は盗み、夜はヤミ市で眠った

 生きるため、昼は仲間との盗みに手を染めた。

 夜は人気のなくなったヤミ市の屋台に入り込んで眠った。

 8月15日に戦争は終わった。しばらくして、行き先も知らないまま、列車に仲間と無賃乗車で乗り込んだ。

 「えらいにぎやかな駅についたな」

 上野駅だった。

 駅の地下は「ぬくい(暖かい)から」、戦争で親を亡くした幼児から高校生くらいまでの子が大勢寝泊まりしていた。

 その場所であった女の子のことを筒井さんは鮮明に記憶している。

 3~4歳に見える子が、ひどい栄養失調になっていた。

 「弱っているな」。そう思い、筒井さんは蒸したサツマイモをあげようとしたが、女の子には持つ力もない。

 口元に近づけると、ようやく…

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この記事を書いた人
長富由希子
大阪社会部
専門・関心分野
社会保障、人権、精神疾患、原爆
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    島沢優子
    (ジャーナリスト・チームコンサルタント)
    2022年8月15日10時0分 投稿
    【視点】

    戦争の壮絶を掘り起こす日にふさわしい記事だと思う。私の 8・15 、今日一日はきっと至るところで「じいちゃん」を思い出す。 母方の祖父は硫黄島の帰還兵だった。陸軍2万人余りの中で生き残った1000人のうちのひとりだ。祖父は15日の玉音

    …続きを読む