一代年寄の栄誉、辞退した千代の富士 北の富士さんが明かす舞台裏

有料記事角界余話

抜井規泰
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 1989年9月22日、9月場所13日目。千代の富士は通算965勝の史上最多記録を打ち立てた。この場所を全勝し、29度目の優勝も決める。

 千秋楽4日後。まだ現役の千代の富士に、相撲協会は抜群の功績を残した力士に贈る「一代年寄」の授与を決めた。大鵬と北の湖に許された名誉だ。

 ただ、当時九重親方だった北の富士さんは、千代の富士が引退したら時間をおかずに「九重」の名跡を譲ろうと考えていた。一代年寄の「千代の富士親方」になってしまうと、九重部屋は継げない。

 北の富士さんと千代の富士は、元々は千代の山という師匠の兄弟弟子だ。千代の富士にはこう伝えていたという。「千代の山の弟子であるオマエが『九重』を継げよ」と。

 ところが、一代年寄が贈られることになった。

「一代年寄」実はデメリットも  千代の富士が選んだのは

 「『どうする。もらうか?』…

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この記事を書いた人
抜井規泰
さいたま総局
専門・関心分野
大相撲、江戸文化、東京防災、荒川防災、東京大空襲、魚河岸