第3回遺族の願いのせ、広がる「調布モデル」 給食アレルギー対策の現在地
「先生、友だちがアレルギーかも」
小学2年生の男子児童が走ってきた。
聞くと、友だちがのどが変だと訴え、息が苦しそうなジェスチャーをしているという。
給食後の時間だった。
「もしかして?」と、子どもたちが異変に気付き、すぐに先生を呼びに来てくれた。
友だちは病院を受診し、大事には至らなかった。今年9月、東京都調布市の小学校でのことだ。
食物アレルギーがどういうものか、食べられないものを食べたり触ったりしてしまうとどうなるのか。調布市の市立小中学校では、日頃から教師が子どもたちに説明し、学校全体で理解を深めるようにしている。
背景に、10年前の給食事故があった。
小学5年生の沙清さんが亡くなった2012年12月の給食事故を受け、東京都調布市は、再発防止検討委員会がまとめた報告書をもと、二度と事故を起こさないための取り組みを始めました。しかし、その後も「ヒヤリハット」はなくなりません。改善を続ける現場を、記事後半で詳しく紹介しています。
アナフィラキシーショックで亡くなった小学5年生の沙清(さきよ)さんは将来、アレルギーの子を助ける研究をする科学者になるのが夢だった。
「娘の死を無駄にせず、アレルギーを持つ多くの子や親の安心につながるような施策をつくってほしい」
両親は市にそう託した。
こうしてできた「調布モデル」が、全国に広がっている。
「食物アレルギーのマニュアルをつくるので教えてほしい」
今も各地から問い合わせが寄せられる。
トレーの色は3種類
どんな工夫をしているのか。
食物アレルギーについて、文…