第1回逃げ続けていた記憶 「はだしのゲン」誕生前夜、作者の猛烈な怒り
わたしもゲンだった 「はだしのゲン」連載50年
漫画「はだしのゲン」が6月、連載開始から50年を迎えます。作者の中沢啓治さんは、自身の被爆体験を基に「ゲン」を描きました。誕生までのいきさつや、ひとたび核兵器が使われれば、人間に何が起きるのかを伝えます。
がんこで子煩悩なお父ちゃんと、陽気で勝ち気なお母ちゃんのもとに、中沢啓治さんは生まれた。
5人きょうだいの三男で、明るい性格の国民学校(いまの小学校)1年生だった。
その日の朝も、いつも通り学校へ。校門で、同級生の母親に授業を受ける場所について問われ、「先生に聞いてみんとわからん」と返していた。
突然、火の玉のような巨大な光が目の中に飛び込んできた。
そこから記憶がない。
気がつくと、さっきまで背にしていた校門のコンクリート塀が倒れ、その隙間にいた。
はい出すと、同級生の母親が遠くに吹き飛ばされている。
全身真っ黒焦げで、白い目がこちらをにらむように、見開かれていた。
「いったい、何が起きたんか」
自宅を目指し、必死で逃げた。
黒こげの人が防火用水の水を飲んでいた。
目玉が飛び出た人や、腹から腸が出た人にも出会った。
全壊した自宅、泣き叫ぶ弟の声
途中で会った近所のおばさんは、身体にガラスがびっしりと突き刺さり、動くとガラス同士が身体の中で触れあってじゃりじゃりという音がした。
多くの民家は1階部分がつぶれ、木造2階建ての自宅も全壊した。
「あんちゃん、早(はよ)う帰ってこいよ」
出かける時、玄関先で歌いながら遊んでいた弟は、自宅の柱に頭を挟まれた。
母は通りかかった人に土下座をして、梁を一緒にどかそうとしたが、動かない。
「お母ちゃん、痛いよー!痛いよー!」。泣き叫ぶ弟の声は、火の手が迫ると「お母ちゃーん、熱いー!」に変わり、意識があるまま焼かれた。
いつも一緒に登校する優しい姉は「今日は学校の準備が出来ていないから、先に行って」と自宅に残り、家の下敷きになった。
お父ちゃんは、倒壊した家の中で「何とかできんのか」と叫びながら、焼かれた。
臨月だった母は被爆のショックでその日に女の子を出産。しかし、栄養失調なのか被爆の影響なのか、生後4カ月で亡くなった。
原爆投下で人間に何が起きるか
原爆が落とされたら、人間になにが起きるのか。
6歳の中沢さんの目に焼き付いた。
あの日を思い出すたびに、死体の腐るにおい、焼け跡のにおい、やけどから流れ出るうみのにおいがよみがえった。
新聞で「原爆」の字を目にするだけで、放射能の影響が自分に出るのではないかと不安になった。
「原爆のことは忘れたい」
「被爆したことは人に言うまい」
原爆からずっと逃げ続けた。
手塚治虫にあこがれ、漫画家を目指して上京した。22歳の時だった。
「漫画は、楽しくなければいけない」と産業スパイの作品でデビューし、結婚もした。原爆を描く気などまったくなかった。
そんな人生が27歳で変わる。
東京のアパートに、電報が届…