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ノルウェー・オスロで10日にあった日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞授賞式に、市川市在住の被爆者、児玉三智子さん(86)が参加した。「核兵器の恐ろしさを世界の人たちに伝えていかなくちゃいけない」と決意を新たにした、と…[続きを読む]
傷だらけの「被爆ピアノ」 札幌でも演奏会開催へ 高校生が寄付募る
2024年12月18日一人ひとり報われた 日本被団協の箕牧さん、慰霊碑にノーベル賞報告
2024年12月18日鶴を折っても核兵器は壊せないけど 日本とノルウェー、人から人へ
2024年12月18日完売した図録「広島の記憶」の改訂版完成、極秘資料を追加 泉美術館
2024年12月17日僕たちは微力だが無力じゃない 高校生平和大使が母校の中学生に訴え
2024年12月17日「微力だけど無力じゃない」 オスロで手応え 高校生平和大使が会見
2024年12月15日機内で「おめでとう」のアナウンス ノーベル賞の日本被団協が帰国
2024年12月13日原爆は「一生を駄目にする」 被爆者が現地の高校生に語った妹の死
2024年12月13日2024年7月、長崎市で開催。30回目となった今回は、依然として進まない核軍縮の現状と、緊迫する国際情勢のなか、その廃絶に向けて何ができるかを議論しました。
いつもと違う、8時15分の黙祷 社会人になった「広島のグレタ」は
2024年8月6日「で、君はどう考えるの?」 自分の言葉で「楽しむ」核廃絶の道
2024年8月5日就活にマイナスかも 顔と名前を出す不安、でも不条理には負けない
2024年8月4日あのとき、日本中が戦場だった。300枚の写真や映像で空襲の惨禍を伝えます。
一人一人が体験した「戦争」を克明に。必死に生き抜いた方々の「声」です。
70年前のパノラマ写真は11枚の画像の合成です。朝日新聞大阪本社写真部員だった故・宮武甫(はじめ)氏が原爆投下4日後の1945年8月10日、爆心地から約1・2キロにあった3階建ての旧広島東警察署=広島市下柳町〈現・中区銀山町〉=屋上から撮影しました。戦後70年の夏、デジタル編集部員が同じ場所を訪れ、そこに立つ18階建てビルの屋上からパノラマ撮影をしました。[撮影場所はこちら]
朝日新聞長崎版の連載「ナガサキノート」。被爆者約150人の証言と足取りを3Dの地図上にアニメーションで再現しました。[特集ページへ]
核兵器保有国の保有数や核問題の取り組みを、動くグラフや表などで解説
プラハ演説から広島訪問に至る道のりは、容易ではなかった。世界の核と平和をめぐる動きをたどる
子どもたちが原爆や沖縄戦について学ぶきっかけになれば、と朝日新聞社が発行している教育特集「知る原爆」「知る沖縄戦」。デジタル版では紙面イメージを紹介します。
1945年8月9日、長崎の街を焼き尽くした原爆。当時、米軍や朝日新聞記者が撮った被爆の実態は
朝日新聞記者が原爆投下直後の広島で撮影した街や人々の惨状。戦後70年を機にデジタル処理でネガを修復、公開した
アニメ映画「この世界の片隅に」が描いた広島や呉の街並み。朝日新聞社所蔵の今昔の写真で舞台を巡る
チェルノブイリ原発事故から30年が過ぎた。被害を受けて廃墟となった土地や、故郷を追われた人びとを訪ねた
普段は立ち入り制限されている原爆ドーム内部にカメラが入った。朝日新聞所蔵の貴重な過去写真も
太平洋戦争開戦75年となる2016年、空や海から戦火の傷痕が残る南洋の地をたどった
原発と電力、放射能に関する特集。全国の原発に深刻な事故が起きた場合の放射能拡散予測図も。
世界最悪となったチェルノブイリ原発事故。完成した新シェルターや当時の写真などを紹介。
基地問題に揺れる沖縄。何が起きているのか
日本の空襲被害、300枚の写真や映像で
被爆者はいま、核と人類の関係は…最前線を追う
全国の鉄道ニュースを集めました
あの日、もしもスマホが…映像・音声で「再現」
皇族方の知られざる日常、意外な素顔を紹介します
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阪神支局襲撃事件から30年超を時系列で追う
「戦争を知らない」沖縄が写真でよみがえる
原発の新規制基準とは、全国の原発の現状は
過去に起きた災害を教訓に、将来の災害に備える
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