ネットカフェに住む患者、「社会保障使えるなんて…」 障壁はどこに
Re:Ron連載「知らないのは罪ですかー申請主義の壁ー」 第1回
誰もが人生のピンチに備えて社会保障制度を学ぶことができる機会をつくりたい。そんな思いで2022年秋、「15歳からの社会保障」という本を出しました。
持病の悪化で生活費と学費に困った大学生、意図しない妊娠に困惑する女子高校生、急な事故で妻を亡くしひとりで子どもを育てることになった男性、祖母の介護と弟の世話をしている中学生など。不意なことから生活困難に直面した10人の物語で構成されています。
エピソードに応じた50前後の社会保障制度を紹介しました。それでも制度全体の10分の1にもなりません。お金に関する社会保障制度だけでも100以上の制度がありますが、その多くを知らずに私たちは大人になっていきます。社会に出る前の時点で自分や身の回りの人たちを守るために社会保障制度を学べる社会であるべきではないか。問題提起の意味も込め、書名に「15歳からの」という冠をつけました。
自己紹介が遅くなりましたが、私は、社会福祉士(社会福祉士は資格の名称で、ソーシャルワーカーや、勤務先によっては相談員などと呼ばれることもある)として病院に勤務したのち、NPO法人を設立しました。現在は生活に困難を抱えた人たちへの支援や、行政等を対象に社会保障制度の利用のしやすさを改善するための提言などを行っています。利用のしやすさを阻んでいる最大の問題が申請主義なのです。本連載では、社会保障制度における「申請主義」の問題をテーマに定期的に文章を書かせていただきますので、まずは、申請主義について簡単に説明をします。
社会保障制度はセーフティーネットたり得ているのか
申請主義とは一言でいうなら、公的な制度やサービスを利用する際に、窓口に自ら足を運び、「利用したいので申請します」と申し出なければならないということです。それ自体は私たちが選択し申請する権利を認めるものです。しかし、権利を行使するために、自力で利用可能な制度の情報を収集/選択し、物理的/能力的に申請手続きが可能であることを前提としているので、それが難しい人たちが社会保障制度の利用から排除され、より困った状況に陥ってしまったり、生活・生命の危機に瀕(ひん)したりする可能性が生じてしまうのです。
本連載に通底する問いは、「社会保障制度はセーフティーネットたり得ているのか」というものです。初回は、私が社会保障制度における申請主義の問題に取り組む必要があると考えた経緯をお伝えします。
数年前の夏のこと。当時医療機関に社会福祉士として勤務していた私は、似たような経緯で入院した8人の患者の担当になりました。彼らは経済的な理由で住まいを追われ、日々ネットカフェで暮らし、携帯電話で仕事を探して日銭を稼ぐ生活を送っていました。保険料が払えない、住所がないなどの理由で保険証を持てず、医療費10割負担では受診を我慢するしかなく倒れ、救急車で私が勤める病院に運ばれてきたのです。
病院に勤務する社会福祉士は、患者とその家族の病気やけがによって生じる社会的な困りごとに対する支援を行います。医療費や生活費などの経済的な問題、退院後の住まいの問題などに対応することも支援のひとつです。私は、時間をかけて患者と話をし、経済的な問題に対しては生活保護の申請、住まいの問題については役所のケースワーカーと共にアパートへ入居するための手続きを行いました。
その過程で、それぞれの患者から、ネットカフェに住むことになった理由を伺いました。誰ひとり家賃の支払いに困ったときに利用できる社会保障制度(住居確保給付金や生活保護制度)を利用していなかったことを知りました。
経済的に国民健康保険料の納付が難しい場合の減免や猶予の措置があることや、病気やけががきっかけで仕事を休むことになった場合の生活費の支援制度である傷病手当金、経済的に困っている場合に安価もしくは無料で病院に受診できる無料低額診療事業なども知りませんでした。これら制度を知っていて利用できていたとしたら、救急車で運ばれることもなく、私と出会うこともなかったかもしれません。
そんなとき、ふと大学時代の社会保障論の授業の光景が思い出されました。白髪の教授は「社会保障制度はセーフティーネットである」と力説し、教科書にもずばりそう記されていました。私は漢字だらけの制度の名前の羅列を眺めながら、「こんなに多くの制度があるんだ」と高校生のときには知ることのなかった社会保障制度メニューの豊富さに驚きました。
頼もしい言葉と現実の乖離
「社会保障制度はセーフティーネットだ」という頼もしい言葉と、私が出会った患者たちの現実は大きく乖離(かいり)していました。「生活保護制度やその他の社会保障制度の利用を検討したことはなかったのですか」と患者たちに尋ねました。
「若いと利用できないと思っていた」「アパートに住んでおらず住所がないので利用できないですよね」「名前は聞いたことはあったけれど詳しいことはわからず自分が利用できるなんて思ってもみなかった」――。返ってきたのはそのような言葉ばかりでした。
「若いと利用できない」「住所がないと利用できない」「働いていると利用できない」。これらはすべて誤りです。生活保護は憲法25条にある「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するために存在する制度です。年齢や一緒に暮らしている人の数、住んでいる地域などの条件によって、「生活するにはこれくらいの金額が必要」と国が定めた「最低生活費」と呼ばれる基準が存在します。計算方法は「最低生活費の算出方法」と検索すれば、誰でも確認することができます。
仕事を辞めたり、病気になったり、障害を負ったり、家族の介護をしなければならなかったり、家族と離別することになったり、さまざまな理由で、生活するために必要なお金に困ることは誰にでも起こり得ます。そんなときに利用すべきなのが、生活保護制度なのです。しかし、私が出会った患者たちにはその認識はありませんでした。
私が出会った患者たち“だけ”が、“たまたま”制度を知らなかったのでしょうか。私にはそうは思えませんでした。家賃の補助、保険料の減免、病気やけがで働けない場合の生活費の補助、お金がなくても病院にかかることができる方法、そして、生活保護制度における最低生活費という基準額。それらすべて、私自身この仕事に携わらなければ知らなかっただろうからです。
社会保障制度が申請主義をとる以上、利用するためには、さまざまなハードルを越えていく必要があります。正しい社会保障制度情報にアクセスできる。制度要件などを理解することができる。申請に必要な書類等を用意することができる能力的・時間的余裕がある。自身の状況を言語で説明できる。これらをクリアできる人にとっては、社会保障制度はセーフティーネットとして機能するでしょう。では、クリアできない人は?
国は「国民の『安心』や生活の『安定』を支えるものが社会保障である」といいます。ですが、私が出会った患者たちのように、制度の存在さえ知らない、そのため利用することができなかった人たちにとっては、機能し得ていない、つまりは、条件付きの“限定的”なセーフティーネットにとどまっているのではないか。そんな疑問を抱いています。
冒頭でもお伝えした通り、本連載に通底する問いは、「社会保障制度はセーフティーネットたり得ているのか」というものです。本連載では以後、社会保障制度がセーフティーネットとして機能し切れていない現状を具体的な出来事をもとにお伝えしていきます。
単に「制度の存在を知らない」だけではない、さまざまな障壁の存在、それらをなくすための具体的処方箋(せん)や論点を提示し、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。ぜひ最後までお付き合いください。
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《略歴》よこやま・ほくと 社会福祉士。社会保障制度のアクセシビリティー向上を目指して活動するNPO法人「Social Change Agency」代表理事。「ポスト申請主義を考える会」代表。内閣官房孤独・孤立対策担当室HP企画委員会委員(2021年~現在)。23年からは、こども家庭庁こども家庭審議会 幼児期までのこどもの育ち部会委員を務める。著書に『15歳からの社会保障―人生のピンチに備えて知っておこう!―』(日本評論社)。