失意の機中、妻からの1冊に救われた 三竿健斗、家族と暮らす欧州

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聞き手・内田快
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 サッカー元日本代表のMF三竿健斗(27)は昨年1月、念願の海外移籍を果たし、欧州での挑戦を始めた。その3カ月ほど前、妻の日本テレビアナウンサー、後藤晴菜さん(33)との間に娘が生まれたばかりのタイミングだった。

 最初の半年はポルトガルのサンタクララ、その後はベルギーのルーベンでプレーする三竿に、家族と過ごす欧州での日々について聞いた。

 ――ポルトガルには3人で引っ越したのですか。

 「住む家が見つかるまではホテル暮らしになるので、先に僕1人で行きました。家が決まって、1カ月後くらいに妻と娘が来てくれました」

 ――言葉の面で苦労は。

 「ポルトガルには英語を話す人が多いので、問題はなかったです。父の仕事で5歳までカナダに住んでいました。帰国後も、嫌々ではあったのですが、英語教室に通っていたので。そこは本当に親に感謝しています。忙しくて通えない時期もありましたが、中学、高校、プロ1年目まで続けました」

 「その後も、活躍するために言葉は大きな鍵になると考えていたので、1人で勉強していました」

 ――勉強方法は。

 「オンラインの英会話もしましたし、英語のユーチューブや映画を英語の字幕つきで見ていました」

 ――日本でプレーする外国選手の振る舞いからも、言葉の重要性を感じたのでしょうか。

 「自分がどう思っているかが相手に伝わらないと、相手も『この人は何を考えているんだろう』と感じてしまうんじゃないかと。ちょっとのディテールで、受け取り方って変わると思うので。自分の考えをバッと伝えられないと、厳しいなとは思います」

 ――実際にポルトガルで英語を使ってみて、手応えは。

 「英語は大丈夫でしたし、(日本で所属していた)鹿島アントラーズではグラウンド内で結構ポルトガル語を使うので、サッカー用語は知っていて。あと、移籍してから自分でアプリを使ってポルトガル語を勉強しました。ブラジル人の選手でずっと一緒にいる選手がいたので、その選手と会話をしながら覚えて、ある程度、話せるようになりました」

 ――その選手と仲良くなったきっかけは。

 「ボブシンという選手(その後、韓国クラブに移籍)です。僕が初めてスタジアムでシャワーを浴びるときにサンダルがなくて、まだしゃべったことがなかったのに、彼が貸してくれたんですよ。それで仲良くなって、家族同士、食事に行くようにもなりました」

 「ボブシンはアニメやすしが好きでした。週2、3回はすしを食べていた。で、僕はポルトガル語を教えてもらって、彼は英語がしゃべれないので、僕が英語を教えた。いい関係でした」

 ――生活面で苦労は。

欧州で過ごす家族との時間、街の雰囲気……・三竿選手が語り尽くしてくれました。

 「僕より妻の方が大変だった…

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この記事を書いた人
内田快
スポーツ部
専門・関心分野
テニス、スポーツと社会
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    中川文如
    (朝日新聞コンテンツ編成本部次長)
    2024年1月24日6時11分 投稿
    【視点】

    海外に挑戦するアスリート、何より異国の空気に人としての成長を促されるのだと思います。三竿健斗選手もまた、そうなのだと。 サンタクララで暮らすことがなければ、パートナーの後藤晴菜さんの苦労を本当の意味で知るのは、もっと後のことだったかもしれ

    …続きを読む