田畑の真ん中、出会う3県境 元は川の合流点、今や観光名所
東武日光線の柳生(やぎゅう)駅から田畑が広がる住宅地を10分弱歩き、その場所を目指す。なんの変哲もない田畑の一カ所に人が集まっているのが見えた。埼玉県加須市、栃木県栃木市、そして群馬県板倉町の「三県境(さんけんきょう)」だ。
訪れたのは12日。観光客らが3県の境をまたぎながら思い思いに写真を撮っていた。群馬県邑楽町(おうらまち)の男性と埼玉県行田市の女性のカップルは「遠目に見たらどこにあるのか全く分からないくらいなんにもないところに唐突にあった。県境って目に見えないんだな……」。
私が初めて現地を訪れたのは昨年秋。3歩で3県をまたぎ、子供のようにはしゃいで、水路に落ちそうになった。北海道出身で、小学生の頃にフェリーで東北地方へ行ったのが初の越境だった私にとって、境界を越えるのは特別なことだ。
国内の他の三県境はほとんどが山間部や河川で容易に近付くことはできない。なぜここは平地なのか。調べると北東にある渡良瀬遊水地の成り立ちに深く関係していた。
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県境の3市町や利根川上流河川事務所によると、三県境は、もともと渡良瀬川と谷田(やた)川が合流する川の中にあった。
栃木市と板倉町の境界を流れていた渡良瀬川は洪水でたびたび大きな被害をもたらし、明治時代には足尾銅山の鉱毒被害を引き起こした。対策のため政府は渡良瀬遊水地の造成を決め、川の流路は工事で1918年に現在の遊水地東側に移った。川の跡は土砂で埋められ農地に。三県境の正確な位置はあいまいになった。
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そんな三県境を独自にスポット化したのは栃木市側の地権者だ。マニアらが地図を片手に三県境を探しに来るようになり、土地の歴史を知ろうと自宅を訪ねてくるようになった。不在でも三県境の場所が分かるように、約30年前に木製の手書きの案内板を立てた。
加須市、栃木市、板倉町も観光資源として売り出そうと2016年に共同で測量を実施し、Y字形に水路が交わる部分が三県境だと確認。水路の底からは境を示したと見られる昔の杭も見つかった。3市町は境界点を示す杭を新たに打ち込み、プレートも設けた。
いま現地では、「板倉町観光サポータークラブ」のボランティアらが三県境が見つかった経緯などを土日を中心に観光客らにガイドする。クラブの大塚和雄代表(78)は「上毛かるたにうたわれる『つる舞う形の群馬県』のくちばしの先端。そこがもとは川の底だったことを説明すると、みなさんびっくりしますよ」。
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渡良瀬遊水地沿いの南西側を通る県道9号佐野古河線を北から走ると群馬、栃木、埼玉、茨城と目まぐるしく県境が入れ替わる。遊水地西側を蛇行する県境。地図の収集や調査を行う「日本地図センター」編集室長で、10年前に「境界協会」を立ち上げた小林政能(まさよし)さん(56)によると、これも川の痕跡だという。「昔の川の流れが県境になっている。逆に言うと県境に昔の川の記録が残っているとも言えます」
県境に限らず市や区の境目では、隣り合う家でも学校の校区が変わったり、ごみ収集が別だったりする。「道路に線が引いてあるわけではないのに、その境目で生活が違う」。そんな境界に小林さんは興味を引かれた。
世界には境界線が紛争地帯になっているところがある。「ロシアやウクライナもそう。境界をたどって歩けるというのは平和な証拠です」と小林さん。そして続けた。「境界線は分けるものではなく、異なるものが出合う場所。三県境は、三つの県が出合う場所だと思って楽しんでほしい」
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