戦力外に「別の仕事でも」 元阪神・北條史也に決断を促したある言葉

有料記事阪神タイガース

大坂尚子
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 昨年、18年ぶりのリーグ優勝、そして38年ぶりの日本一に輝いた阪神タイガース。歓喜の裏で、北條史也(29)は慣れ親しんだ縦じまのユニホームを脱いだ。

 野球から離れることも考えた中で選んだのは、社会人野球の道。三菱重工Westで、第二の野球人生が始まった。

 5月、兵庫県明石市にある同社野球部のグラウンドを訪ねた。守備練習では、三塁から何度も「諦めんな!」とチームメートを鼓舞する声が響いた。ティー打撃中には請われて助言もしていた。

 「ジョーさん」と慕われる姿は、阪神時代と変わらなかった。

 大阪府堺市出身。青森・光星学院(現・八戸学院光星)高では、主力として2年夏から3季連続で甲子園準優勝に貢献した。3年夏には4番として4本塁打を記録。2012年秋のドラフト会議では、甲子園で戦った大阪桐蔭藤浪晋太郎(現大リーグ・メッツ)に続き、2位で阪神に指名された。

 自慢の長打力は、プロ1年目で壁にぶつかった。毎日のように試合があり、練習量も多いのがプロの世界だ。体力がなければやっていけない。

 「早出練習して、試合前に練習して、試合後も練習。練習量が多くて体力を使った。体が細くなって打球も飛ばなかった」

 生き残りをかけ、低いライナー性の打球と右打ちを徹底して練習するようになった。それが奏功し、15年には2軍で2桁本塁打を記録。翌年には1軍で122試合に出場し、打率2割7分3厘(385打数105安打)、5本塁打とブレークした。

 阪神のショートは長く鳥谷敬の定位置だったが、鳥谷が三塁を守ることが増え、新たな遊撃のレギュラーとして北條が脚光を浴びた年だった。

 だが、その後は左肩の脱臼で手術するなど、けがにも泣かされた。定位置を固めきれず、1軍での出場機会は徐々に減り、昨季は一度も昇格の声がかからなかった。10月初旬、球団から戦力外通告を受けた。

 「今まで戦力外になる人たちを見てきたし、年齢的にもあるかなと。覚悟はしていた」

 通告後、野球を辞めようと考…

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この記事を書いた人
大坂尚子
スポーツ部
専門・関心分野
野球、アメフト、フィギュアスケート、陸上