七夕豪雨から50年 続く水害対策 大雨増え、宅地開発で保水力減

田中美保
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 静岡県内で44人が犠牲となった1974年の「七夕豪雨」のような被害を防ごうと、水害との闘いが続いている。治水工事に加え、一定の水を受け止めるべく発想の転換も進む。防災意識を失わないための取り組みも欠かせない。

 七夕豪雨をきっかけに計画された放水路の整備が、いまなお沼津市内で続いている。

 駿河湾とほぼ並行して東から西に流れ、田子の浦港に入る沼川。豪雨の際には高橋川と合流して水があふれやすくなる。2023年6月には、台風2号などで流域に浸水被害が出た。

 川の「枝分かれ」のようにして水の一部を海に逃がす放水路は約2.3キロ。約370億円かけての整備は12年に国から認可された。

 完成は32年度の予定。地元との丁寧な調整には時間がかかる。構想が持ち上がってから半世紀がかりとなる。

 遊水地や放水路といった治水対策が各地で進む一方で、記録的な豪雨の回数は増えている。

 県によると、1時間あたり50ミリ以上の雨が降った回数は1984~93年の10年間は平均年9.4回だったが、直近の10年では14.1回に増えている。

 とりわけ22年9月の台風15号は大きな被害をもたらした。島田市で1日あたりの降雨量が544ミリを記録。県内の床上・床下浸水は計9862戸にのぼり、中西部を中心に167件の土砂崩れが発生した。

 水田が宅地に変わって土地の保水力も下がっているという。ハードだけでは対策が追いつかない現実に、「流域治水」と呼ばれる方策がとられ始めた。

 学校の校庭で貯水させたり、民間と協力して大規模な開発工事に併せて地下に貯留施設を埋めたりして、流域全体で水をため、浸水被害を最小限にする考え方だ。県内でも約40水系で進んでいる。

 七夕豪雨の被害を伝える努力も重要になる。

 県は、1985年度までに、巴川流域(静岡市)を中心に浸水した高さを記した「洪水痕跡表示板」を113カ所に設けた。縦15センチ、横30センチほどのプレートが電柱などに付けられたが、文字が消えたり、電柱が取り換えられたりしている。

 県は被災から半世紀となる今年度、この表示板を一新する。デジタル上でも見られるよう、地理情報システム(GIS)でも公開できるようにする予定だ。

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