五輪抜きで語れぬ日の丸の歩み あいまいさ残し「戦後日本」の象徴に
パリ五輪では、毎日のように日の丸が画面に映る。かつて軍国主義の象徴とも捉えられ、政治問題にもなった旗。その戦後の歩みは、五輪と切っても切れない関係にある。
メダルをとった日本選手が、大きな日の丸を掲げて喜びを爆発させる。日本のメダル数は、9日朝時点で33個。客席で日の丸が振られる様子がテレビに映るたび、吹浦忠正さん(83)は感慨深くなる。「世界各国の旗の中で、日の丸も溶け込んでますね」
500枚の日の丸を研究
1964年の東京五輪、吹浦さんは大会組織委員会の「国旗担当」を担った。仕事の一つは、参加国に大会で使う国旗の見本を送り、色合いやデザインを承認してもらうこと。わずかな色調の違いで何度も突き返してくる国もある中、一番困ったのが日の丸だった。
日の丸は敗戦直後にいったん掲揚が制限されたが、連合国軍総司令部(GHQ)は49年に解除。マッカーサー元帥は「平和の象徴として、とこしえに世界の前にひるがえらんことを願う」とメッセージを出した。
だが、そのデザインには戦前から明確な規定がなかった。一般市民が使っていた日の丸も、円の比率や紅の色調がバラバラだった。
どんな日の丸が「標準」なのか。吹浦さんたちは、独自に調査することにした。
一般家庭から500枚の日の丸を集めた。色調などを比べて赤色を決め、日本政府に承認を求めた。
閣僚「勘弁してくれ」
でも、外務省も首相官邸も取り合ってくれなかった。閣僚の一人からは、面会した際に「勘弁してくれ」と言われたという。
終戦から20年弱。アジア各国を侵略した軍国日本の象徴でもあり、多くの国民が日の丸とともに戦場に送られた記憶は生々しかった。50年2月の朝日新聞の世論調査では、73%が日の丸を「持っている」と答えたが、うち祝日に旗を「出さない」が43%と「出す」の30%を上回った。出さない理由について、「世間から軍国主義者のように思われる」「息子が抑留から解放されるまでは見るのも嫌」といった声が紹介されている。
東京五輪直前の64年2月の政府世論調査では、「日の丸の旗で何を思い浮かべるか」との問いに、22%が「戦争」と答えている。
「国民の中に、敬遠する空気が残っていた。日本政府はそんな日の丸に関わり、責任を問われるのが嫌だったんでしょう」と吹浦さんは言う。
結局、五輪では政府の承認がない日の丸が使われた。でも、グラフィックデザイナーの永井一正さん(95)は「この五輪が、日の丸の転機になった」と振り返る。
大会が始まると、各国の旗と…
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- 【視点】
非常に興味深い記事ですね。 戦後、日の丸の旗にこのような国民意識の変遷があったことを改めて知りました。 現在の五輪で、日の丸を出しても「軍国主義」と思われない(少なくとも日本では)のは、日本が平和を維持してきた結果でもあるでしょう。
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