がれきの中から脱出 家屋倒壊の大崎町 液状化の被害も
宮崎県沖の日向灘を震源とする地震は、鹿児島県内にも爪痕を残した。県内最大の震度5強を観測した大崎町。役場周辺の三文字地区では、木造2階建て住宅が全壊したほか、道路の隆起や水道管の破裂などが確認された。
地震から一夜明けた9日午前、全壊した住宅に住んでいた女性(81)は、解体作業の準備が始まるなか、道路をふさぐように倒れ込んだ自宅に目を落とし、「突然こんなことになるから地震は怖い」とつぶやいた。
部屋でテレビを見ていたときに揺れに襲われ、「家がバリバリと音を立てた」という。「建物が下にガタンと落ちるような感覚で、すごい揺れだった」と振り返った。
2階にいた夫(82)を呼びに行く間もなく玄関へ急いだが、扉が開かず、裏口まで再びはうように逃げた。庭に出て振り返ると、家はほとんど崩れ落ちていた。「お父さん」と繰り返し呼んでいると、がれきのわずかな隙間から夫が自力で抜け出してきた。2人ともけがもなく無事。近所の長男宅に身を寄せ、一晩過ごしたという。
地震は8日午後4時42分ごろ発生し、マグニチュード(M)は7・0、最大震度は宮崎県日南市の6弱だった。県がまとめた9日午後4時現在の被害状況によると、県内では志布志市志布志町の崖崩れや指宿市の県道での落石、大崎町の町道での路面隆起、霧島市国分地区の一部での水道水の濁りなどが確認されている。住家被害は、大崎町の全壊1棟のほか錦江町と東串良町で一部損壊が計4棟。けが人は軽傷が4人だった。
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志布志市や大崎町の被災現場を直接確かめた鹿児島大の井村隆介准教授(地球科学)に、今回の被害や今後の備えについて話を聞いた。
志布志市の崖崩れは、シラス台地のもろい崖が揺さぶられて、下にバサッと落ちたもの。たくさんあるシラスの崖の一つで、どこで起きてもおかしくない。1961年の日向灘地震(M7.0)でも、大隅半島各地で崖崩れが起き、志布志では崖崩れで1人死亡したとの記録が残る。想定外のことではまったくない。
大崎町の倒壊家屋は古い建物だったようだ。周辺でみられた道路の隆起や水道管の破裂などは、液状化の影響だ。もともと低くて水が集まりやすい土地。一定の時間強く揺さぶられたため、地盤が緩くなり、地中のものが浮かびあがったと考えられる。役場の近くだったので、被害が目立ったのだろう。細かく見ればほかにも液状化の痕跡が見つかるかもしれない。
日向灘ではM7級の地震が繰り返し起きている。その被害としては、今回何も特別なことは起きていない。初めて「臨時情報」が発表されたため、南海トラフ巨大地震に社会の注目が向いているが、地元の人にとってまず大事なのは、今回の地震の余震にきちんと備えること。備えは十分だったか、足りないことはないかを再確認する機会にしてほしい。
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