「宗教国家」日本 星野智幸さん寄稿

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【2013年12月25日付朝刊 オピニオン面】

 今年の年頭に私がまず購入した本は、ネルソン・マンデラの自伝や評伝だった。昨年末の総選挙で自民党が圧勝し、安倍政権が誕生した時点で、これからの長く息苦しい時代を覚悟し、そのような境遇下で平常心を保ちながら生き延び、時代を取り戻したマンデラの生き方に学びたいと思ったのである。

 だが、人種差別政策のもとで27年間も収監されていたマンデラに学ばねばならないと感じるほど、日本社会の今後を暗く感じるのは、政権だけのせいではない。

 それは数年前から始まっていた。

 年賀状のやり取りぐらいで長らく会うことのなかった、子ども時代や社会人時代の旧友たちと久しぶりに会うということが、そのころ続いていた。20年ぶり30年ぶりともなると、白髪は交じり、ふくよかになり、互いに外見はすっかりおじさんおばさんなのだが、話せば性格も声もたたずまいも昔のままである。

 「変わらないなあ」と笑い合っていたら、落とし穴があった。話題が例えば韓国のことに及ぶと、それまでとうってかわって態度が硬くなったのである。侮蔑的な口調で、嫌悪を表明する。日本に対する態度を批判しながら次第に激高し、中国についてもなじり始め、日本はもっと国防に力を入れるべきだと言い、特攻隊や戦没者への感謝を口にする。スポーツでの「日本人」の活躍を、涙を流さんばかりに礼賛する。

 そこには私の見知らぬ友人がいた。二重の意味で、友人がそのようなことを口にしていることに驚いた。若い時分にはナショナリスト的な考えなどまったく持っていなかったどころか、そもそも政治に関心がなかった。政治的な話題を取り憑(つ)かれたように語る姿は、見慣れぬものだった。それ以外は、以前の友人と何も変わらないのに。

 そして、このような友人は一…

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