第9回2対1の多数決で下された極刑 苦悩し続けた裁判官、40年後の告白

【動画】一審の主任裁判官として袴田巌さんの死刑判決を書いた熊本典道さん。後に袴田さんの再審請求を支援した=静岡朝日テレビ提供
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 1968年、静岡地裁での袴田巌さん(88)の公判。証人として出廷した静岡県警の捜査員に、鋭く質問する若い裁判官がいた。

 黙秘権の意味を問うと、捜査員は「不利なことは言わなくて良いという基本的人権」と答える。重ねて尋ねた。

 「30分も黙秘しているのを、雑談に移し、なんとか口を開かせようとすることと、今おっしゃったことは矛盾しませんか」

 任官5年目、当時30歳の熊本典道さんだった。強引と言える取り調べがなかったか確認する意図があったとみられる。

「信念に反する判決書」

 熊本さんは裁判長以下3人の中で、判決文の原案を書く担当だった。結論は死刑だが、供述調書45通中44通を証拠から排除。長時間の聴取で自白を得て、物的証拠の捜査を怠ったなどと、痛烈に批判した。

 判決の約半年後、裁判官を辞めた。

 消息不明だったが、約40年…

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この記事を書いた人
森下裕介
ネットワーク報道本部|地方裁判担当
専門・関心分野
司法、刑事政策、人権
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    西岡研介
    (ノンフィクションライター)
    2024年9月29日13時9分 投稿
    【視点】

     この記事に添付された静岡朝日テレビの提供映像は、熊本典道・元裁判官(2018年に死去)の真意をよく映し出している。  記事に少し補足すれば、一審で、袴田さんに死刑判決を下したことを苦に裁判官を辞職した熊本氏はその後、約40年にわたって公の

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