ハンセン病、隔離の中の隔離伝える「重監房」 歴史どう語り継ぐ
ハンセン病患者を強制隔離していた、群馬県草津町の国立療養所「栗生(くりう)楽泉園」には、反抗的だとみなされた患者が監禁される「特別病室」があった。劣悪極まりないことから「重監房」と呼ばれており、1938年~47年に23人が亡くなっている。ハンセン病患者の人権を無視した国策の実態を伝える場として重監房資料館が開設され、今年で10年を迎えた。展示を手がけた学芸員の黒尾和久さん(63)に課題や展望をきいた。
――どんな資料館ですか。
「重監房とは『特別病室』のこと。特別というと、いまでいう差額ベッドのように良いイメージかもしれませんが、そうではありません。病室とは名ばかり。患者なのに監禁、放置された懲罰施設のことを通じて、人権を考えるところです」
――重監房とは、どういう施設ですか。
「ハンセン病にかかると、らい予防法によって療養所に隔離されましたが、療養所から『不良な患者だ、反抗的だ』とみなされると、この特別病室に入れられました。全国の療養所から草津の重監房に送られるのですが、死者がでる劣悪な所だったので『草津送り』と怖がられていました。ハンセン病患者には司法の手続きはとられず、園長の胸一つで入れられたのです。隔離のなかの隔離。収容所のなかの牢獄といってかまいません」
――重監房はどんな環境でしたか。
「明かりも暖房もない4畳半…