淀川舟運の伏見航路62年ぶり復活 災害の観点から評価、万博で機運
「水都大阪」の発展を支えた淀川で、大阪と京都市伏見区を結ぶ「伏見航路」が62年ぶりに復活した。来年4月の大阪・関西万博の開幕に向け、京都と会場の人工島・夢洲(大阪市此花区)が浮かぶ大阪湾とを結ぶ航路の整備も進められている。
万博開幕まで半年となった10月13日、枚方市の淀川沿いで航路復活を祝う式典が開かれた。伏見に向かう観光船に家族連れらが乗り込み、集まった市民らが「いってらっしゃい」と船出を見送った。
淀川を利用した水上交通「淀川舟運(しゅううん)」の歴史は古い。人や物の往来を支える経済の大動脈としての役割を長らく果たしてきた。奈良時代に、京都の恭仁(くに)京から大阪の難波宮に遷都した際の物資の輸送にも使われたという。
大阪が「天下の台所」として栄えた江戸時代には、全国から大阪に集まった塩や酒、年貢米、木材など物資の輸送路として利用された。大阪と伏見を結ぶ旅客船は1日に300便以上あったとされる。
だが昭和になり、鉄道や道路といった陸上交通網の整備が進むにつれ、物資や人を運ぶための船の利用は減っていき、1962年に伏見―大阪の航路も廃止。2019年、淀川を通行する船の数は年間5543隻で、全盛期の20分の1まで減った。
こうしたなか、災害への備え…
- 【視点】
こんな句も。 黄落やここに水都の景ありぬ 橋本博 銀杏の黄葉がとめどなく散る時季の水都大阪。川多く橋多きがゆえに水の都と名づけられ、人や物資を乗せた諸船が大阪と京都を往来した時代があった。今でも書物を通して触れることができる当時の交通
…続きを読む