【ニュートンから】宇宙農業の最前線(1)
月や火星での長期滞在に向けて,宇宙環境で自給自足するための宇宙農業の研究が進んでいる。人が宇宙で健康にすごすためには,新鮮な野菜を育てることが不可欠だ。しかし月や火星は大気も重力も少なく,強い紫外線がふりそそぎ,昼夜の温度差が100℃をこえる過酷な環境だ。また,物資を頻繁に運ぶことがむずかしい宇宙環境では,物質をうまく再利用する循環のしくみが必要になる。月や火星での自給自足をめざす宇宙農業の研究の今をのぞいてみよう。
203X年6月25日,私の月面での生活は今日で4か月となり,地球への帰還までちょうど折り返しだ。私は朝,おきてまず,モニタールームに入った。植物工場と資源循環システムを管理するダッシュボードを確認すると,微生物エリアに注意アラートがついていた。酸素濃度が少し低下している。6区画のうち1区画の温度を下げて,一部の微生物に休眠してもらうことにしよう。月面では完全な物質循環を実現している。微生物は植物の食べられない部分や人間や虫の排泄物を分解して植物の肥料をつくってくれる存在だが,活発になりすぎると酸素の消費量がふえて人間に必要な酸素が足りなくなってしまう。資源循環システムの管理は宇宙に長期滞在するためにとても重要だ。私は将来の火星ミッションにそなえて,志願して植物工場と資源循環システムの管理責任者を任されている。
0.2気圧下の植物工場に入るため前室で専用の宇宙服に着がえ,マイクごしにキャプテンのエドへ声をかけた。エドは2020年代にNASA(アメリカ航空宇宙局)の「アルテミス計画」に参加し,約50年ぶりの月面着陸をはたしたベテラン宇宙飛行士だ。「エド,今から植物工場の見まわりに行ってくるわ。ついでに何かほしいものはある?」と呼びかけると,「モニターでA区画のいちばん奥に大きなトマトが実っていたのが見えたよ。朝食のサラダにしよう」と返事が返ってきた。今日もしっかり食べて,チームのほかの8人とともに楽しくやっていこう。宇宙飛行士は健康がいちばんだ。照明を赤や青の光から白色光に切りかえてドアを開けると,天井の高さまで緑で埋めつくした植物たちが出迎えてくれた――。
月や火星の生活は自給自足
冒頭のストーリーは,現在進行中の月面着陸をめざす「アルテミス計画」の先に想像される未来の長期宇宙滞在のイメージだ。現在,地球から400キロメートルはなれた国際宇宙ステーション(ISS)へ無人機で1キログラムの物資を送る費用は数百万円かかるといわれている。約38万キロメートルはなれた月へ,そして約6000万キロメートルはなれた火星へ大量の食料を送るにはきわめて大きなコストがかかる。世界では今,宇宙に長期間滞在するため,食料を自給自足する「宇宙農業」の実現に向けた研究がさかんに行われている。
では,月面などでの宇宙農業…