原爆の「残り火」を真珠湾へ 「折り鶴の少女」のおいが描く希望

有料記事核といのちを考える

上地一姫
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 日本軍が米ハワイ・真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が開戦してから、8日で83年になる。東京在住のミュージシャン・佐々木祐滋さん(54)は、真珠湾に折り鶴の像を建てて火をともす計画を進めている。

 おばは、広島で被曝(ひばく)して亡くなり、「原爆の子の像」のモデルとなった故・佐々木禎子さん。終戦から約10年後の1955年、白血病で12歳で世を去った。「生きたい」と願い、かなうと信じて病床で1千羽以上の鶴を折り続けた。

 祐滋さんは、幼い頃から祖父や父からおばの話を聞いて育った。2000年に父の平和講演に同行したところ、聴衆から「あなたには禎子のDNAがある」と言われたことをきっかけに、禎子の思いを音楽や講演で伝え、2010年のNHK紅白歌合戦では禎子さんの思いを込めた「INORI」が歌われた。

 禎子さんが実際に折った折り鶴を国内外に寄贈する活動も続ける。これまでニューヨークやイラン、ウクライナなど5カ国19カ所に贈り、13年からは真珠湾の国立追悼施設アリゾナ記念館にも展示されている。

 真珠湾での計画を立てたのは21年。ドキュメンタリー映画を制作していた時に、交流があった真珠湾の関係者がインタビューで「友人は死ぬ間際まで日本を恨んでいた」と語ったことだった。はっとし、「きれいごとでは片付けられない憎しみ」のぬぐえなさを身にしみた。

 悩み、思いついたのが分火だ…

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この記事を書いた人
上地一姫
東京社会部
専門・関心分野
沖縄・平和
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