真珠湾攻撃からきょう83年 徳島市で徳島大空襲語る特別講演会
旧日本軍がハワイ・真珠湾の米軍基地を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まって8日で83年となる。徳島市の徳島県立総合福祉センターで7日、「徳島大空襲を語るつどい」の特別会があり、市民ら約100人が集まった。
会場には、徳島大空襲で35万本以上が落とされたという焼夷(しょうい)弾の尾翼も展示された。四国放送のラジオキャスター梅津龍太郎さん(84)が「映画と戦争」と題して講演した。戦時中に制作された映画「陸軍」(1944年)のうち、戦地へ行く息子を母親が追いかけるラストシーンを上映して「反戦をほのめかしていたのではないか」と解説。
戦時中は夜に防空ずきんを枕元に置いて寝ていたときに空襲警報が鳴ったり、焼け跡の臭いが立ちこめたりしていた体験を話した。
つどいは平和団体「反核・憲法フォーラム徳島」が企画し、徳島市で約1千人が犠牲になったという徳島大空襲の7月4日に合わせて開いてきた。今回は来年が戦後80年の節目となることから、初めて太平洋戦争開戦の12月に催したという。
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〈徳島大空襲〉「九条の会徳島」が2020年11月3日に発行した冊子「語り継ぐ徳島大空襲」によると、1945(昭和20)年7月4日、米軍のグアム島基地を出撃したB29爆撃機129機が徳島市上空に飛来。午前1時24分から3時19分までの1時間55分間にわたり、焼夷(しょうい)弾約1050トン(約35万4600本)を投下した。市内の約62%が焦土となり、死者約1千人、負傷者約2千人、被災者は約7万人にのぼると伝えられている。