小林克也さん、人生初の外国人との英会話 国家試験に一発合格の理由

有料記事語学の扉

聞き手・山根祐作
[PR]

小林克也さん 英語と歩いた83年(中)

 小林克也さん(83)は、広島県福山市の高校を卒業した後、東京に行きました。洋画を見るのに明け暮れた浪人生時代を経て大学に入学。通訳案内業の試験で人生初の外国人との英会話を経験し、一発合格を果たします。そこで、その後の人生に影響を受けた人物との出会いもありました。小林さんは、どのようにして英語力を磨いていったのでしょうか。

 ――高校を出て上京したのですね。

 東京の予備校で1年間浪人生活を送りました。浪人時代は、めっちゃ映画を見たんです。神田の予備校に通っていたんですが、電車が恐ろしく混んでいて、途中の駅で吐き出されるんですよ。吐き出された先が映画館の多い錦糸町で、「楽しいアメリカ映画がいっぱいあるなあ」と、そのまま予備校行かないで映画館に入ってしまうことも。当時は3本立ても多かったから、年間で軽く100本は見たと思います。

 今まではラジオを通じて声だけを聞いていた人たちが、大きなスクリーンに映ってしゃべっているのを見て、自分にとってはこれが勉強だと思っていました。ジェームス・ディーンが好きで、しゃべり方をまねしていましたね。

両手で耳を覆って自分の英語を

 その頃よくやっていたのは、両手で耳を覆って、自分が話す英語を聞くことです。今のようなヘッドホンもなかったので手でやったんですが、こうすると自分の声がよく聞こえて、正しい発音ができているかどうかも確認できるんです。そんなことを発見しました。

 ――1年後、慶応大学経済学部に入学。大学では英語との付き合い方はどう変わりましたか。

【連載初回はこちらから】小林克也さん英語力の原点

大学で出会った「学問の英語」に戸惑いつつも、小林克也さんは、新しい世界に踏み出します。記事後半では、通訳案内業での経験などを経て、ラジオDJとしての仕事に打ち込む小林さんの姿を紹介します。

 大学ではいきなり、ケインズ…

この記事は有料記事です。残り1462文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

この記事を書いた人
山根祐作
国際報道部
専門・関心分野
国際情勢、日中関係、中国、在日外国人、語学