「たかが選手」発言が再編の流れ変えた 球界を牛耳った渡辺恒雄さん
堀川貴弘
読売新聞グループ本社代表取締役主筆で、元プロ野球読売巨人軍取締役最高顧問の渡辺恒雄さんが12月19日、肺炎で死去した。98歳だった。
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ある時期、毎晩のように巨人の渡辺恒雄オーナー(当時)を追いかけていた。2004年、球界再編騒動のまっただ中。行きつけのホテルのロビーで待ち、食事を取った後のほろ酔い加減の渡辺オーナーを囲んだ。後に再編の流れを大きく変えることになる「たかが選手」発言もそんな状況での言葉だった。
良くも悪くも1990年代以降のプロ野球界を牛耳った人物だった。渡辺氏が巨人の最高経営会議のメンバーとなったのは89年。「僕は野球を全く知らなかった。どちらに走るのかさえわからなかった。だから必死に勉強して、野球協約にも精通した」。自著にそう記している。
しかし、野球界にかかわったのは、実はもっと前からだったようだ。78年、日本中を揺るがした江川卓投手獲得をめぐる「空白の一日事件」。「あのシナリオを書いたのは僕だったんだよ」。先輩記者はそんな言葉を聞いている。
旺盛なサービス精神の持ち主…