転落寸前で助かったバス 運転手が語る大震災の瞬間「腹をくくった」
1995年1月17日早朝、兵庫県西宮市の阪神高速道路を走る夜行バスに、交代要員の運転手として乗っていた。激しい揺れで目の前の高架が崩れ落ち、死を覚悟した。安井義政さん(63)=京都市下京区=は、あの瞬間を鮮明に覚えている。
バブル経済は90年代前半に崩壊したが、スキー人気は続いていた。安井さんは帝産観光バス(本社・東京)の運転手になって2年目。京都支店を拠点に、スキー客を乗せて関西と長野県のゲレンデをせわしなく行き来していた。
1月16日、安井さんは長野県の野沢温泉スキー場にいた。午後6時過ぎ、乗客40人余りを乗せ、当時50代の運転手と一緒に関西に発った。3連休の最終日で車内はほぼ埋まっていた。
大雪で行程は遅れがちだったが、バスは17日早朝、ほぼ定刻通りに関西に入った。ほとんどの乗客はJR京都駅前や大阪・梅田で下車。残った20代の女性客3人を乗せて、最後の目的地、神戸・三宮を目指していた。
高架が続く阪神高速神戸線に入った。安井さんは、運転する先輩の隣に座っていた。窓の外はまだ暗い。
午前5時46分、フラッシュをたいたようなまぶしい光に襲われた。激しい横揺れと縦揺れがやってきた。何秒続いたかは覚えていない。とにかく長かった。バスの屋根に積もっていた雪が一気に落ちた。
「やっちゃん、ブレーキ利かへんわ」
激しく揺れる車内で、フットブレーキを必死に踏みながら先輩は声を上げた。
目の前にあったはずの高速道路は落下し、消えていた。対向車線を走っていたトラックが、道路の割れ目から落ち、地上で火柱を上げていた。
このバスもこのまま落ちていくのか。楽しかったこと、悲しかったこと。それまでの人生が頭をよぎった。
「落ちて死ぬと思って腹をくくった。もう最期やなと」
地面にぶつかる直前まで見届けようと、目を見開いた。
次の瞬間、バスは運転席と前輪部が宙に浮いた状態で止まった。何が起きているのか分からなかった。直前まで眠っていた乗客からは「事故でもしはったんですか」と声をかけられた。
阪神高速の別の場所にいた同僚のバス運転手の叫び声が無線から聞こえてきた。「緊急事態発生、阪神高速落下」。ようやく地震が起きたと気付いた。
安全を確保するため、安井さんと先輩は乗客3人を誘導しながら、バス後方の非常扉から降りた。余震が続くなか、高速道路を歩き、非常階段で地上に下りた。
「あってはならないことが起きている。この光景をとどめておきたい」
安井さんは近くのコンビニで使い切りカメラを買い、高架下からバスの写真を撮った。上空に大きくはみ出した車体を見て、「ようこんなところで止まったな」と改めて思った。
震災後も帝産観光バスで運転手として働くことにした。ただ、震災から数年はトラウマが続いた。高架の上を走行中は、また揺れているという錯覚に何度も襲われた。「ここで地震があったら、次は助からないのでは」と不安を感じることもあった。
一方で、復興していく神戸を見て、「多くのボランティアのおかげ。自分も被災地のために役に立ちたい」と思うようになった。
2011年の東日本大震災や16年の熊本地震では社長に頼み込み、同僚とバスでボランティアに出かけた。24年の元日に起きた能登半島地震でも、被災地の石川県志賀町で同僚と蔵の片付けを手伝った。
あれから30年。阪神・淡路大震災を知らない若い運転手が増えた。被災体験を自ら伝えることはないが、「震災のこと、ちょっと聞きたいんですけど」と言う後輩には、当時のことを詳しく話すことにしている。
「災害はいつ起きるかわからない。今後、何があっても乗客の安全を一番に確保しないといけない」
奇跡的に助かった喜びと責任を感じながら、これからもバスを運転するつもりだ。
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