生まれつきの心臓病だった花岡瑛斗(えいと)くん(18)は3歳で3度目の手術を受けた。
その後も、心臓の調子が安定せずに苦労した。
心臓からの血液による酸素が十分届かないため、顔色が悪く、体を動かすのがしんどかった。
朝起きることがなかなかできず、夕方になると体が鉛のように重くなった。
小学校の低学年の時は、学校を休みがちだった。
なんとか普通に登校できるようになったのは、高学年になってからだった。
小さなころから、外で走り回るより、おままごとなどの遊びが好きだった。
再手術、「死のリスク」
中学校に入って、大きな転機を迎えた。
再び心臓の手術を受けることになったのだ。
血流を調整する弁の具合が検査のたびに悪くなっていた。血液の逆流が起きて、調子の悪さにつながっていた。
「修学旅行に行きたい」という希望があり、中学2年生の夏休みを利用して手術を受けることになった。
長野県立こども病院で、医師から説明を受けた。
手術では、意図せず心臓の機能が低下する恐れや、死亡するリスクがあることも告げられた。
「死ぬかもしれないって、まじか。怖い」
「いつかやらなきゃあ仕方ない」
さまざまな思いが押し寄せてきた。
前回の手術は3歳の時で、ほ…
連載患者を生きる
この連載の一覧を見る- 服部尚(はっとり・ひさし)朝日新聞記者
- 福井支局をふり出しに、東京や大阪の科学医療部で長く勤務。原発、エネルギー、環境、医療、医学分野を担当。東日本大震災時は科学医療部デスク。編集委員を経て現職。