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戦後74年。戦争体験者が減りゆく中、思いを託された「モノ」の重みはこれから増していく。そんなモノをめぐる、人々の物語。
作成:2019年8月5日
■モノ語る:【1】 その写真の少女、森脇瑤子(ようこ)さんは、憧れの女学校に入学したその日から、日記を付け始めた。 「日本の女学生として、恥ずかしくないように日々の生活に心掛け、一生懸命に、がんばろう…[続きを読む]
■モノ語る【2】 大まかな分類は、最初の数字で示す。「1」は家庭用品。「2」は台所用品。「3」なら衣類……。 ここは広島平和記念資料館(広島市中区)の地下収蔵庫。23年前、23歳の学芸員だった佐藤規代…[続きを読む]
■モノ語る【3】 「足のふみ場もなかった倉庫は、のこる者だけでがらんとし、あちらの隅、こちらの陰にむくみきった絶望の人と、二、三人のみとりてが暗い顔で蠢(うごめ)き、傷にたかる蠅(はえ)を追う」 広島…[続きを読む]
■モノ語る【4】 原爆で亡くなった姉の日記に、残されていた男性の名前。苦しんで死んだ姉の最期を恋心が彩っていたことが、弟にとってはわずかな救いとなっている。 「はるばると、よくいらっしゃいました。ご縁…[続きを読む]
■モノ語る【5】 母の遺品にあった1枚の古びたレコード。そこに残されていたのは、太平洋に散った亡き兄の声だった。 押し入れのトランクの中から見つかったレコード盤。そっと針を落とすと、懐かしい声が流れ始…[続きを読む]
■【6】モノ語る 激戦地を渡り歩いた一兵卒が、若き日に記した従軍手帳や日記。それを託された女性は考える。どんな思いで戦ったのか――。 「これ、預かってくれないかな」 ビルマ(現ミャンマー)戦研究者の遠…[続きを読む]
■【7】モノ語る 学童疎開に向かう途中で対馬丸とともに海に消えた姉2人のことを、両親は語らなかった。そして遺品となったランドセルが残った。 「母は、兄姉のことは何も話してくれなかった」 「対馬丸の話、…[続きを読む]
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