木製の仁丹町名表示板は、「琺瑯看板探検隊」さんの資料では、下記9枚が現存していることになっている。
①上京区椹木町通油小路東入東魚屋町
②上京区寺町通二条上る
③上京区室町通上御霊前下ル上柳原町
④上京区五辻通大宮東入下ル慈眼庵町
⑤上京区新麩屋町通仁王門下る大菊町
⑥下京区新町通花屋町下東若松町
⑦下京区佛光寺通烏丸東入下ル匂天神町
⑧下京区下立売七本松西入西東町
➈下京区綾小路通新町西へ上新釜座町
そして、下記の記事で上記の①と④と➈を紹介した。
確認したところ、③は消滅していた。
④は上の記事で紹介したが、設置されてるのはレプリカで、本物は保存されている。
ということは現存しているのは7枚かと思ったが、「京都仁丹樂會」さんに確認したところ、現存しているのは9枚あるとのことだった。
9枚の内2枚は確認できているので、残り7枚を確認することが課せられた使命だった。
上記にないものが2枚ある。
隠れ木製仁丹町名表示板と言ってもいいものなのかもしれない。
2022年11月に訪問した時、現存している全ての木製仁丹町名表示板を確認できているのだが、この記事を書いているのは年を越した2023年1月、記憶があいまいになってしまっている。
忘れなければ全部紹介したいと思っているが、どうなることか自信がない。
期待している読者はいないと思うが、もしいたとしたら、気長に待っていただきたい。
と書いていたのだが、この記事を投稿するのは、ちょうど1年後の2023年11月13日になってしまっていた。
発見日 2022年11月13日
⑧はこちらのお宅に設置されていた。
伝統的な町屋だったのだろうけれど、前面はかなり改修されているようだ。
木製仁丹町名表示板は2階の前面右端に設置されている。
雨どいに隠れていて正面からは撮りにくい。
右斜めから撮ったもの
左斜めから撮ったもの
仁丹のマークは認識できるが、書かれている文字は読めない。
ちょうどご婦人が家から出てきた。
思い切って声をかけてみた。
「あれは仁丹ですよね?」
「そうです、先代から大事にするようにと言われています。」
家の構造や床や壁などを説明していただいたのだが、この記事を書くのが遅くなり、忘却の彼方へとなってしまったが、思い出したことがあった。
それは、裏の方に新婚さんの家が建っているということだった。
この町家を解体してという話もあったようだが(この話は聞いたような気がするが、もしかしたら自分の思い込みかもしれない。)、そうされなくてよかった。
「中に入ってみませんか?」
と言われた。
お言葉に甘えて、町屋の内部を見学させてもらいたかったが、流石に遠慮した。
壁のタイルを磨いているご婦人
壁のこの黒いタイルは珍しいものらしい。
磨くのを習慣にされているそうだ。
何時までもお元気で。
西東町について調べてみた。
"東西"とはいうが"西東"とはこれいかに?
寛永一四年(一六三七)の洛中絵図に「西ノ京東丁」とあり、寛文五年(一六六五)刊「京雀」に「西の京」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」では「東町」とあり、明治九年(一八七六)京都区分一覧之図にも「東町」とある。現町名は西之京東町の略称(坊目誌)らしい。
略さないで西之京東町のままでよかったと思うのだが、京都らしくないと言うと京都の方に「これも京都だ。」と怒られてしまうかな。