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函館山ふもとに鎮座する住三吉神社の、前回紹介しきれなかった神々を紹介します。 ・天照皇大神(あまてらすすめらおおかみ)日本神話における、三貴紳の一柱で太陽神…
今日は、函館の戊辰戦争ゆかりの地、神山稲荷神社を紹介します。 <所在地>函館市 神山3丁目18番1号 <例祭日>8月23日 <祭神>・倉稲魂命(うがのみたま…
今日は、道南・七飯町の、国道5号線のすぐそばに鎮座する、大中山神社を紹介します。 <所在地>北海道 亀田郡 七飯町字大中山2丁目の5 <例祭日>9月5日 …
今日は函館の隣町、北斗市に鎮座する、丸山神社を紹介します。 <所在地>北斗市当別2丁目1番1号 <例祭日>9月23日 <祭神>・級津彦(しなつひこのかみ…
2022年8月の、水柱騒動で注目を集めた、北海道・長万部町の飯生神社を紹介します。 <所在地>北海道 山越郡 長万部町字長万部379番地 <例祭日>8月11…
北海道・北斗市の太陽神 今日は、北海道・北斗市の、戊辰戦争の跡残る、意冨比神社を紹介します。 <所在地>北海道 北斗市 本町2丁目8-1 <例祭日>8月…
北海道・三嶋神社の由来 今日は、三嶋神社の由緒と、前回紹介しきれなかった、神様を紹介します。 <由来>三嶋神社は愛媛県大三島の、大山祇神社の御祭神、 大山…
読者のみなさま、おこんばんわ m(_ _ )m本日もご訪問ありがとうございます。 たった一度で生涯の加護が得られる神仏融合アチューメント3100名以上の実績逢…
岡上神社(→神奈川県川崎市麻生区岡上)は、明治時代後期の1909(明治42)年3月16日に、国の一村一社政策により、剣明神社・日枝神社・宝殿稲荷社・関戸神社の4社を岡上村の中央にあった諏訪神社に合祀し、地名をとって「岡上神社」としたと伝わります。現在の岡上は周囲を東京都町田市と神奈川県横浜市青葉区に囲まれていますが、川崎市麻生区の飛び地となっています。合祀元となった剣神明社と諏訪神社は、どちらも創建年代等の詳細...
小台稲荷神社・八幡神社(神奈川県川崎市宮前区)を訪問しました
小台稲荷神社・八幡神社(→神奈川県川崎市宮前区宮前平2丁目)は、創建年代の詳細は不明ですが、江戸時代中期には徳川将軍家の旗本川勝主税(かわかつちから)の所領に創建され、村民が祭祀を司ったと記される八幡社です。明治時代末期の1910(明治43)年に国の一村一社政策および神社統合令を受け馬絹神社(→神奈川県川崎市宮前区馬絹5丁目)に合祀されましたが、そこから小台八幡神社として分祀され今に至るといいます。〖八幡神社の祭神...
有馬伏見稲荷(→神奈川県川崎市宮前区東有馬5丁目)は、県営有馬団地の南西、たぬき公園内に保存されている有馬古墳(→宮前区№16遺跡)の墳丘上に祀られている伏見稲荷です。創建年代の詳細は不明ですが、『新編武蔵風土記稿』の内容から江戸時代後期には創建され、塚の由来が伝わらないほど古くからあったことが窺えます。馬絹古墳は、1989(平成元)年度の川崎市教育委員会による発掘調査により、南北径26.5ⅿ、東西径25.5ⅿ、高さ4.2ⅿの...
保谷稲荷神社(→神奈川県川崎市多摩区堰3丁目)は、創建年代等の詳細は不明ですが、神仏習合の頃の神体は右手に宝珠・左手に剣を持ち、白狐にまたがった女神像で、安産守護の神として堰村はもとより周辺の村民からも崇敬を受けたと記されます。太平洋戦争末期の1945(昭和20)年4月15日の空襲で被害を受け、戦後の1946(昭和21)年に溝口稲荷社(現在の堰稲荷神社、神奈川県川崎市多摩区堰2丁目)を再建した際に祭神の倉稲魂命(うかのみた...
唐木田稲荷神社(→東京都多摩市唐木田1丁目)は、江戸時代後期の1843(天保14)年に上落合村の組頭(→村方三役の1つ、名主の補佐役)の横倉重衛門が記したものを下落合村の有山文衛門が書き写したという『落合旧記』によると、現在も唐木田に住んでいる唐木田三家(→横倉家・高村家・古沢家)が江戸時代初期に稲荷社を氏神として祀ったことから始まります。明治時代後期には国の一村一社政策を受けて近くの秋葉社を合祀したようです。現在...
小野神社(→東京都多摩市一ノ宮1丁目)は、平安時代前期の927(延長5)年に作成された『延喜式神名帳』(えんぎしきじんじょうちょう→朝廷より官社に指定された全国の神社一覧)に記載された武蔵国多磨郡八座のうちの「小野神社」に比定される神社の1つです。東京都府中市にも小野神社がありますが、多摩川の氾濫にともない移転を繰り返した結果2社に分かれたとも、どちらかが本社でもう片方が分社であるとも言われています。鎌倉時代に...
下石原八幡神社(→東京都調布市富士見町2丁目)は、創建年代等は不詳ですが、この地の領主であった小田原北条氏の家臣・太田盛久が「若宮八幡宮」として創建したと伝わります。太田盛久は安土桃山時代前期の1579(天正7)年に死去しているので、創建はそれ以前であることが分かります。「若宮八幡宮」とは国府八幡宮の称号で、創建時の祭神は仁徳天皇でした。仁徳天皇は実在性は不確かながら古墳時代中期の大王(16代天皇)で、中国の歴...
千年神社(→神奈川県川崎市高津区千年)は創建年代などは不詳ながら、古くから千年(ちとせ→旧岩川村)の鎮守として崇敬されていた天王社・御嶽社・伊勢宮が高度経済成長期の1955(昭和30)年1月21日に区画整理事業の一環で合祀され、千年神社として改築されたものです。天屋兒根命(あめのこやねのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)を主祭神として祀っています。江戸時代には星王山 宝蔵院 能満寺(→神奈川県川崎市高津区千年)が別...
読者のみなさま、おこんばんわ m(_ _ )m本日もご訪問ありがとうございます。 幸運エネルギーをONにして人生を書換える一生開運アチューメント2800名以上…
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本郷神社(→神奈川県横浜市緑区東本郷4丁目)は江戸時代前期に創建されたと伝わる神明社が起こりで、1921(大正10)年に1600(慶長5)年に創建された稲荷社と合祀して本郷神社となりました。神仏習合の江戸時代には瑞照山 慈眼院 東観寺(→神奈川県横浜市緑区東本郷1丁目)が別当寺として稲荷社の祭祀を司っていました。本郷神社となった神明社・稲荷社および末社の数々は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』...
早野子ノ神社(→神奈川県川崎市麻生区早野)は、江戸時代の1703(元禄16)年9月26日に創建された神社で、別当寺を持たず村民が祭祀を司ったと記されます。社殿は1734(享保19)年5月と1928(昭和3)年に再建されたようです。1921(大正10)年に国の一村一社政策を受け近くの稲荷社・浅間社が合祀されました。1928(昭和3)年には神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうじんしゃ)となり、勅令に基づいて神奈川県知事から例祭などの神...