〇〇君、お疲れさまでした。2年も続けてあなたと一緒に球場へ決勝戦を見に行くことができたのは、父親として何ごとにも代えがたい喜びです。わたしはもともと1試合だけで終わってしまう決勝戦にはそれほど興味がなかったですし、見たいと思ったことも多くはないです。それでも、次の試合のない決勝戦には、独特の雰囲気があると感じています。
決勝戦にもいろいろあって、過去には東北v常総学院のようにスタンドに空席多数の中でおこなわれた試合もあれば、駒大苫小牧v早稲田実のように徹夜してまで見に来る人がいるような試合もありました。昨年の決勝戦はどちらかといえば2003年の雰囲気に近いでしょうし、今年の決勝戦は2006年に近いかなと思いました。連覇を懸けたチームvs東京六大学系列のチームという構図も似ていますね。
試合としては、初回の攻撃で慶応が先制して、その流れのままで試合が終わってしまったような印象でした。あとで知りましたが、仙育英は試合前のじゃんけんに勝って後攻めを取ったようですね。1回表の守備を#10の投球で0点に抑えて自分たちのペースに持ち込もうと考えたのだと思います。本来の投球をすれば0点に抑えることは可能だ、と。ただ、本塁打は仕方ないとしても、打球が高速だったとはいえ三塁手が捕れる打球を左前安打にしてしまい、さらに風が強かったとはいえ遊撃手が飛球の目測を誤って中前適時打(2点目)にしたのが痛かったかなと思いました。とはいえ慶応も、初戦から堅実だったはずの内野守備に失策と失策まがいのおぼつかないプレーが多かったので、普段通りのプレーという感じには思えませんでした。仙育英も、まだ付け入る隙はある、と。
3点をリードされる展開は誤算だったかもしれませんが、仙育英は2回以降に安打が出るようになり、小刻みに1点ずつ返しましたので、その流れのうちに同点あるいは逆転まで持っていきたかったところです。逆に言うと、それを許さなかったこと(試合序盤の慶応#10の投球)が慶応の勝因ということになりますね。それと、5回表の仙育英#8の失策ですけど、やはりあのプレーは外野手同士で声を出し合っていたようですが、応援の音がうるさ過ぎて聞こえていなかったみたいですね。あまりの大音量の応援のせいで選手同士の声が聞こえなくなり、怪我をするようなことにでもなれば、安全の面から応援を制限する必要があると感じました。
あなたが話していた通り、表彰式の最中、大会委員長が優勝した慶応を称える言葉を述べると、整列していた仙育英の選手は拍手をしていましたが、準優勝だった仙育英を称える言葉を述べたとき、慶応の選手は誰も拍手をしていませんでしたね。勝った者は、勝利した者にふさわしい振る舞いが求められると思いますし、敗れた側も同じだと思います。浦和学院の試合(※1回戦・浦和学院v仙台育英)を見たとき、醜い勝利よりも美しい敗北のほうが難しいという話をしたと思いますが、その言葉の意味を今日あなたは学んだと受け止めています。
慶応の監督さんがインタビューで話すのを聞いて、仙育英の監督さんはずっと拍手をしていましたので、仙育英の選手はこれまでに監督さんからそのような振る舞いをすることを学んでいたのでしょう。一連の光景からあなたが何かを感じたとすれば、一緒に試合を見た意味があったのだと思います。
わたし個人としては、両チームともに普段通りのプレーができている様子ではなかったし、混乱したプレーが多かったので、それほどいい試合に立ち会ったという記憶が残らないことが残念です。それと、試合後のインタビューを聞いていると、慶応の選手は自分たちの髪型(丸刈りではないこと)や“エンジョイベースボール”していることを知ってほしいという承認欲求や顕示欲は人並み以上ですが、対戦相手を認めたり他者を尊重する精神は半人前以下のようなので、すごく子どもじみた集団に思えました。試合に勝利したからといって、すべてのことにおいて相手より秀でているわけではない、と。勝負事に関わる以上、誰しも勝利を目指すものですが、わたしの目指す勝利者の姿とはちょっと違うなと思いました。
閉会式が終わったあとで強い雨が降ったようなので、優勝旗授与が終わったあとで急いで球場を後にすることができてよかったのかもしれないなと思いました。一年後のことを考えると、来年の大会では5回が終わってクーリングタイムになるたびに今日の試合の映像がスコアボードで流されるので、この日の悔しかったことを試合中に思い出すことのできる仙育英は、すでに来年の優勝候補ですね(選手権大会に出場すればの話ですが)。
決勝戦にもいろいろあって、過去には東北v常総学院のようにスタンドに空席多数の中でおこなわれた試合もあれば、駒大苫小牧v早稲田実のように徹夜してまで見に来る人がいるような試合もありました。昨年の決勝戦はどちらかといえば2003年の雰囲気に近いでしょうし、今年の決勝戦は2006年に近いかなと思いました。連覇を懸けたチームvs東京六大学系列のチームという構図も似ていますね。
試合としては、初回の攻撃で慶応が先制して、その流れのままで試合が終わってしまったような印象でした。あとで知りましたが、仙育英は試合前のじゃんけんに勝って後攻めを取ったようですね。1回表の守備を#10の投球で0点に抑えて自分たちのペースに持ち込もうと考えたのだと思います。本来の投球をすれば0点に抑えることは可能だ、と。ただ、本塁打は仕方ないとしても、打球が高速だったとはいえ三塁手が捕れる打球を左前安打にしてしまい、さらに風が強かったとはいえ遊撃手が飛球の目測を誤って中前適時打(2点目)にしたのが痛かったかなと思いました。とはいえ慶応も、初戦から堅実だったはずの内野守備に失策と失策まがいのおぼつかないプレーが多かったので、普段通りのプレーという感じには思えませんでした。仙育英も、まだ付け入る隙はある、と。
3点をリードされる展開は誤算だったかもしれませんが、仙育英は2回以降に安打が出るようになり、小刻みに1点ずつ返しましたので、その流れのうちに同点あるいは逆転まで持っていきたかったところです。逆に言うと、それを許さなかったこと(試合序盤の慶応#10の投球)が慶応の勝因ということになりますね。それと、5回表の仙育英#8の失策ですけど、やはりあのプレーは外野手同士で声を出し合っていたようですが、応援の音がうるさ過ぎて聞こえていなかったみたいですね。あまりの大音量の応援のせいで選手同士の声が聞こえなくなり、怪我をするようなことにでもなれば、安全の面から応援を制限する必要があると感じました。
あなたが話していた通り、表彰式の最中、大会委員長が優勝した慶応を称える言葉を述べると、整列していた仙育英の選手は拍手をしていましたが、準優勝だった仙育英を称える言葉を述べたとき、慶応の選手は誰も拍手をしていませんでしたね。勝った者は、勝利した者にふさわしい振る舞いが求められると思いますし、敗れた側も同じだと思います。浦和学院の試合(※1回戦・浦和学院v仙台育英)を見たとき、醜い勝利よりも美しい敗北のほうが難しいという話をしたと思いますが、その言葉の意味を今日あなたは学んだと受け止めています。
慶応の監督さんがインタビューで話すのを聞いて、仙育英の監督さんはずっと拍手をしていましたので、仙育英の選手はこれまでに監督さんからそのような振る舞いをすることを学んでいたのでしょう。一連の光景からあなたが何かを感じたとすれば、一緒に試合を見た意味があったのだと思います。
わたし個人としては、両チームともに普段通りのプレーができている様子ではなかったし、混乱したプレーが多かったので、それほどいい試合に立ち会ったという記憶が残らないことが残念です。それと、試合後のインタビューを聞いていると、慶応の選手は自分たちの髪型(丸刈りではないこと)や“エンジョイベースボール”していることを知ってほしいという承認欲求や顕示欲は人並み以上ですが、対戦相手を認めたり他者を尊重する精神は半人前以下のようなので、すごく子どもじみた集団に思えました。試合に勝利したからといって、すべてのことにおいて相手より秀でているわけではない、と。勝負事に関わる以上、誰しも勝利を目指すものですが、わたしの目指す勝利者の姿とはちょっと違うなと思いました。
閉会式が終わったあとで強い雨が降ったようなので、優勝旗授与が終わったあとで急いで球場を後にすることができてよかったのかもしれないなと思いました。一年後のことを考えると、来年の大会では5回が終わってクーリングタイムになるたびに今日の試合の映像がスコアボードで流されるので、この日の悔しかったことを試合中に思い出すことのできる仙育英は、すでに来年の優勝候補ですね(選手権大会に出場すればの話ですが)。