第1回息子にはごめんなしか言えなかった 清原和博さんと薬物
昨年末、約4年ぶりにユニホーム姿で球場に登場し、薬物依存症やうつからの回復ぶりを印象づけた元プロ野球選手の清原和博さん(52)。笑顔の陰には、いまも続く闘病やしのびよる薬物の魔の手があった。対談本『魂問答』(光文社)の出版を機に、朝日新聞の単独インタビューに応じた。2019年6月の取材から半年で変化した点、変わらない点など、その思いを尋ねた。2回にわたって報告する。
「僕はいつでも、どんなときでも、同じ場所に綱を垂らして待っています。清原さんご自身が、心の底からその気になって、その綱を摑(つか)んでくれたなら、僕は精一杯(せいいっぱい)の力を振り絞って引き上げてみせますからね」(『魂問答』より)
――昨年12月に出版された『魂問答』の対談相手は、清原さんの精神的なよすがである示現寺(神奈川県藤沢市)の住職鈴木泰堂さん(44)です。清原さんが初めて会ったときの鈴木さんの言葉が印象的でした。
初めて会ったのは16年2月に覚醒剤取締法違反で逮捕されるよりももっと前、14年に週刊誌が僕の薬物疑惑を報じる前です。何とか薬物と手を切りたいともがいていた僕に、知人が紹介してくれました。泰堂さんは、薬物乱用防止教育認定講師(主催・ライオンズクラブ国際協会など)の資格を持ち、薬物依存症の人の相談に乗っている方だからです。
逮捕された後に重いうつの状態に陥り、つらい毎日が続きました。そんな中で泰堂さんの言葉を思い出し、すがる思いで電話をしたのが18年春です。
以来、これまでにいったい何回電話をしたでしょうか。1日に3回、電話したこともあります。精神科には通っているのですが、通院は2~4週間に1度なので、その間にどうしてもつらい時に、泰堂さんにSOSを出してしまいます。
逮捕後のつらさ
「ニュースを見て『清原終わった』と思ったと思う…でも辛いのはそこから」。清原さんが闘う後遺症・うつとは。そして息子・元妻への思いも語っていただきました。
――18年春ごろ、清原さん…