ブラックボックス化する霞が関人事 政治主導の落とし穴
伝家の宝刀・人事権を使い、霞が関を支配してきたとされる安倍、菅両政権。官僚側の過度な忖度(そんたく)や萎縮も問題となっている。なぜ、「政と官」はこんな関係になったのか。人事院の元官僚で、人事政策とその国際比較を研究する嶋田博子さんは、英国をモデルにした平成の「政治改革」にその伏線があるという。
――この30年の政治改革は議院内閣制の発祥地・英国がお手本でしたが、「政と官」の関係をめぐる改革で輸入されなかった重要な要素があると指摘していますね。
「ええ。英国では、官僚は政治的に中立であるべきだと言う時の『中立』が、法律に基づく規範で詳細に定義されています。官僚は専門家として誠実に、時の権力には耳の痛い事実も直言せよ、それが中立だとの合意もあります。しかし日本では、法律上の定義も国民的合意もありません」
京大大学院教授 嶋田博子さん
しまだ・ひろこ 1964年生まれ。86年に人事院入庁。在英長期在外研究員、同院審議官などを経て2019年から現職。近著に「政治主導下の官僚の中立性」。
――そのことで、日本の政官関係にどんな弊害がありますか。
「官僚は、忖度も含めて政治家に従うべきか、それとも忌憚(きたん)なく意見を言うべき存在か、政治家や時代により見解がまちまちで、羅針盤のない状況が続いています。このことに私が気付いたのは公務員制度改革法案の審議が続いていた約10年前、人事院で国会担当などをしていた時でした。官僚の中立性についても国会で議論がありましたが、中立の定義が共有されていないため、まるでバベルの塔のように議論がかみ合っていない印象をもちました」
――なぜ、そんな状況が生まれたのでしょう。
「時間をさかのぼって考えてみます。戦後初期には、官僚は中立・専門性を隠れみのに特権を行使した権力だ、と野党から批判されていました。それが55年体制になると、逆に野党は、官僚は政治に中立であるべきだ、と強調するようになります。たとえば自民党の族議員と高級官僚は癒着している、もっと国民全体を向くべきだ、といった主張です。政官スクラムとも言われたそんな状況が変わったのは、1990年代半ばのことです」
■日本独特の「選挙万能主義」…