村田沙耶香さんから、学校が苦しかった中3の自分へ 「心は秘密」
作家の村田沙耶香さんは、中学3年生の時、友達との関係に深く悩んでいたといいます。今の自分から当時の自分に伝えたいことや、つらかった当時、支えになった本を聞きました。
――「個性」という言葉に、子ども心に違和感があったそうですね。
私が中学生ぐらいのころ、先生が「個性」という言葉を急に言い出した記憶があります。
朝礼や学年集会での話で、先生がコセイ、コセイと繰り返しおっしゃっていて、違和感を抱きました。
それまでは、子どもたちには無個性でいてほしいという雰囲気だったので唐突で、おそらく、あまりに突拍子がないと排除されて、程よい範囲で見せてくれというものなのかな、と子どもなりに感じました。
そういう、先生の都合のいい範囲での「個性」は、「無個性」で満足できない大人たちを喜ばせてほしいという押し付けに思えてしまい、苦しかったです。
「生きのびた」と思った日
――休み明けは、学校に行きたくないと言う子どもたちも多くいます。
その気持ちはとてもよくわかります。
私が一番学校がつらかったのは中3のときでした。友達のグループに無視されてしまい、家も安全な場所とは感じられませんでした。
学校に行かないと家族が許してくれないと思い込んでいましたが、いま思えば、ほかの選択肢もあったかもしれません。
相談機関に電話をかけましたが、自分の状況がうまく伝えられず、「大丈夫です」と切ってしまいました。
希死念慮があり、同時に生への執着が強くあったので、「死ぬ日」を決めて、あと99日、あと98日、と数えながら生き延びていました。
――当時のつらい状況は、どう変わっていったのでしょうか。
進学した高校には、同じ中学の人が1人もいなかったんです。
卒業したらもう中学の人と会わなくてすむと思い、卒業した日は、制服も、毎日毎日「あと○日」と書いていたカレンダーも捨てて、「生き延びた」と思いました。
当時の自分に唯一言えるとしたら
――つらかった時の自分にいま何か言うとしたら、こう言いたいということはありますか。
当時、自分として最善の手段はとっていて、試行錯誤して生き延びていたと思います。
もちろん、相談できる大人がいたらよかったとは思います。ただ話を聞いてくれる大人は私の周りにはいませんでした。
心療内科に行きたくて、タウンページを切り抜いて定期入れに入れていたんですが、保険証を使ったら親に知られてしまうと思って行けませんでした。
あのころ、行っていればよかったということは当時の自分には言いたいと思います。
大学を卒業して、心療内科に行って、いろんなことが精神的によくなりました。秘密が守られる環境下でプロに見てもらうだけでも、全然違うと思います。
――ご自身が子どものころ、読書は支えになっていましたか。
私の場合、とにかく生きづらくて、苦しくて、読書をすることで、本の中には自分と同じ痛みを抱えた人たちがたくさんいて落ち着く感覚がありました。
村田沙耶香さんの読書経験や読書感想文について聞いたロングインタビューです
本は危険物だと思っていたの…
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- 【視点】
村田さんの言葉のひとつひとつに頷きながら、中学生ごろの自分のことを思い返しながら読みました。読書の真っ暗な喜び、「子どもの自由」に含まれるファンタジーに気づいてしまい、でもそれに応えようとする自分への苦しさ、「風葬の教室」の美しい言葉たち。
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