第20回1千年先も宝であるために、明日香村を「博物館」へ 森川村長に聞く
高松塚古墳壁画が発掘されて50年。「戦後最大の発見」が奈良県明日香村にもたらした意義や影響、今後の展望などについて村長の森川裕一さんに語ってもらった。
もりかわ・ゆういち 1956年生まれ。明日香村出身。京都大大学院を修了後、奈良県職員に。土木部や企画部などで都市計画などに携わった。2011年10月の同村長選で初当選し、3期目。
――壁画発見は1972年3月21日でした。
「奈良市に住んでいた高校生のころだった。ものすごいインパクトだったのは、朝日新聞のカラー特報(飛鳥美人の写真を一面すべて使って掲載)。読んでびっくりした。ふる里がすごい話題を提供してる! という驚きと、奈良県民としてすごくうれしいという思いもあった。その後、父親の車でお盆や年末年始などに明日香村へ帰省するたび、各地から来る車の渋滞がひどくて、村から抜け出られないと思ったほど」
――村を全国に知らしめることにもなりました。
「いま思うと、高松塚古墳壁画が出る前までの考古学は、一部の研究マニアのためのものだったのでは。だが、国民のみなさんが壁画という文化財を国民の財産と考えてくれたことが、考古学ブームにつながった。それとリンクして明日香村も語られ、一般の人たちに知ってもらうことができたことはとても大きい」
オーバーツーリズムだった
「ただ、壁画発見から10年ぐらいは、観光客がたくさん訪れたことで、『田んぼのあぜを崩された』『ゴミが散乱している』という被害を訴える村民も多く、今で言うオーバーツーリズムを経験した。道路の渋滞もその一つだったのだろう」
「その半面、そのことが、歴史的風土を守り村の生活環境を整備するための明日香法(80年公布)の実現を加速させることにもなった」
――2011年10月、村長に初当選しました。壁画に関してはどんな引き継ぎがありましたか。
「壁画の劣化が発覚(04年…