第4回現場中継のように読んだ「映像の世紀」 山根基世のアナ人生の原点

有料記事山根基世 放送人であるために、探した言葉

聞き手・平賀拓史
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 《2007年、NHKを定年退職宮本隆治さん、松平定知さんら仲間を誘い、アナウンサーの事業組合「ことばの杜(もり)」を立ち上げた》

 定年後もアナウンサーが現役として活動できる場を作りたかった。退職したアナの受け皿になれたらと思っていましたが、私たちはやはり経営では素人。14年に解散しました。でも、朗読で地域をつないで子どもを育てる仕組みを作ろう、という今の私の取り組みはここから始まったものだと思います。

 《07年10月の「徹子の部屋」で民放番組に初出演した》

アナウンサーの山根基世さんが半生を振り返る連載「放送人であるために、探した言葉」の全4回の最終回です。

 驚いたのは、打ち合わせ時間の短さ。えっ、もう本番?とびっくりすることもしばしばでした。ナレーションにしても、NHKではリハーサルの時間がたっぷりあったけれど、民放だといきなり収録なんです。家であらかじめウォーミングアップしていく必要がありました。

 《初めて民放ドラマのナレーションを務めた「半沢直樹」(13年)。「倍返し」が流行語になるなど、社会現象を巻き起こした》

 突然のオファーでびっくりしましたよ。なんで私が? 劇中には難解な銀行用語も多いので、NHKらしい、内容が伝わりやすいナレーションを求めていたそうです。大河ドラマでもナレーションをやりましたが、「半沢」のあんな反響は初めてでした。日本中どこに行っても「半沢、見てますよ」と言われました。

 監督の福澤克雄さんには、人の心をつかむカリスマ性がありましたね。NHKでは聞いたことがないくらいの大きな声で、「オッケーでーす!」って言ってくれました。

 20年の続編でも、ナレーションを担当しました。元々少し読むテンポの速いドラマだったけど、続編ではさらにスピードアップしました。なんだか、高速道路を猛スピードで運転しているみたいなテンポ感。コロナ禍の中で収録は慌ただしく、放送日前日の収録もありました。スリリングでしたね。

受信料の意義、理解の努力怠った

 新人時代に研修で、受信料制度について講義を受けました。私たちは国から一銭も受け取らない。スポンサーは、民主主義を支える国民一人ひとりである。私たちはスポンサーに対して、届けなければいけない情報を届ける使命があるのだ――。講師が熱を持って語ってくれた。NHKをただ長く働ける場と考えていた私は、すごく感動しました。なんて美しい制度なんだと。「民主主義」という言葉に、私たち団塊世代は弱いんですよね。

 《アナウンス室長になった2005年は、不祥事を発端に受信料の不払いが急増した時期だった》

 受信料制度を成り立たせていた国民からの信頼が、どん底に落ちていました。受信料制度そのものが成立しなくなるのでは、と初めて本気で疑いました。ガタガタと、足元が崩れていくようでした。

 信頼回復のため、技術だけで…

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この記事を書いた人
平賀拓史
文化部|論壇担当
専門・関心分野
歴史学、クラシック、ドイツ文化など
人生の贈りもの

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