難民は海の向こうの人ではない、私たちの「隣人」だ 安田菜津紀寄稿
フォトジャーナリスト・安田菜津紀さん 寄稿
6月20日、世界難民の日をご存じでしょうか? 1951年、国連が難民条約を採択したことを受け、OAU(アフリカ統一機構)が1974年に6月20日を「アフリカ難民の日」としたことが由来です。その後、2000年の国連総会で、この日が「世界難民の日」に定められ、難民の保護や支援について、世界的関心を高める日に位置づけられてきました。
昨年2022年、紛争や迫害などにより故郷を追われた人々が初めて1億人を超え、過去最多となりました。こうした事態も踏まえ、「世界難民の日」を機に、「難民を守ろう」という発信が、日本国内でも増えていくことでしょう。
その一つひとつが大切であることに変わりはありません。ただ、様々な報道機関や国際機関の発信の中での難民の表象の多くが、「海の向こう」で撮られた写真や映像です。
日ごろ、社会課題に強く関心を寄せている知人さえ、「最近まで難民は、海外の難民キャンプで暮らす人たちだと思い込んでいた」と語っていました。もちろん、日本国外で暮らす人々をどのように支えていくのかも重要な課題です。ただ、知らず知らず私たちの中で、固定化された「難民のイメージ」が出来上がっていないでしょうか。
「難民が飛行機に乗ってくるはずがない」という誤解
ここ日本にも、多くの難民が逃れてきていることを知っていますか?
時折、「難民が飛行機に乗ってくるはずがない」「日本は遠すぎるから“本物の難民”は来ない」という声を耳にします。けれども難民保護は、「経済的に困窮していること」を要件としているのではありません。
もともと飛行機に乗れるだけの経済力がある人にも、迫害の恐れは立ちはだかります。一方で、なんとか資金をかき集めてフライトを手配する人もいます。難民を「ぼろぼろの服を着たキャンプにいる人」というステレオタイプで見つめたままでは、本質を見誤るのではないでしょうか。
実際、命の危険が目の前に迫った人は、「なるべく早く、遠くへ」逃れようとします。そうした中で、たまたまビザがとれた国、たまたま仲介者が指定したなじみのない国に逃れてくることは珍しいことではありません。現に今、2千人以上の人々が、ロシアの軍事侵攻を受けているウクライナから避難してきています。
日本と同じく紛争地から遠く、地続きではないカナダでは、2021年、3万3801人が難民として保護され、難民認定率は62.1%でした(難民支援協会調べ)。
「難民のイメージ」ということで言えば、「難民を受け入れると治安が悪くなる」もネット上でよく飛び交う言葉です。
実際のデータを見てみると、コロナ禍などの特殊な環境下を除き、日本を訪れる外国人は年々増えているにもかかわらず、外国人の刑法犯は横ばい、もしくは微減です。くわえて日本には、観光や仕事など、「命の危険」以外の理由で訪れる人たちの方が圧倒的に多い。にもかかわらず、難民の存在だけを取りざたするのは合理的ではないでしょう。
難民と「共に生きてきた」社会が……
実は、日本はすでに難民と「共に生きてきた」社会でもあります。
1970年代の後半、東南アジアではベトナム戦争やその後の政変などにより、多くの人々が故郷を脱し、インドシナ難民として国外へと逃れていきました。小さな船にぎゅうぎゅうになりながら海を越えようとした人々は、「ボート・ピープル」と呼ばれました。日本は1万1千人以上のインドシナ難民を受け入れ、今は2世代目、3世代目、4世代目となっています。
ところがこの時の蓄積は、その後の難民受け入れに生かされませんでした。2021年に日本で難民認定を受けたのはわずか74人、難民認定率にして、たった0.7%です。
なぜこんなにも、難民認定率が低いのでしょうか?
日本では今、出入国在留管理庁という、文字通り出入国を「管理」し「監視」する機関の中で難民審査も行われています。しかし、「管理」「監視」と「庇護(ひご)」を判断する専門性は全く別ものです。このように、そもそもの制度的限界を抱えてきたうえ、その難民審査の中身もまた、問題視されています。
難民申請者に対して行われる「1次審査」では、弁護士の同席は許されず、録音・録画も認められていません。例えば、日本でも「被疑者」に対する取り調べの可視化は、不十分ながら進められています。保護を求めてやってきた人たちには、その権利さえ認めていないのです。
「1次審査」で不認定になった人々は、不服を申し立て、「2次審査」を受けることになります。その際、入管外部の人間が難民審査参与員として関わりますが、最近では一部の参与員が、出身国情報をほとんど見ないで審査をしていることが明るみに出たり、「難民をほとんど見つけることができない」と主張する特定の参与員が、2022年に1231件、全体の4分の1以上を審査したりしていたことが分かっています。難民審査参与員が110人以上いるにもかかわらず、です。
こうしたあからさまな「偏り」を覆い隠したまま、「難民はほとんどいない」という「イメージ」に引きずられた参与員たちによって、これまで大量の命が裁かれてきたのです。
「条約詐欺」の状態でいいのか
以前取材した南アジア出身の男性は、「日本は難民条約に加入しているから安心していた。こんなに認定に厳しいとは知らなかった」と語っていました。「条約詐欺」状態の現状を解消するためには、難民条約から抜けるか、難民保護を第一に据えた「法改正」を行うかの二択しかないはずです。
6月9日に成立した改定入管法が施行された場合、難民申請が2度不認定になった人々は以後、難民申請をしても送還の対象になります。この法案の採決で賛成を投じた議員たちは、あまりにずさんな難民審査が浮き彫りになりながらも、「誤った送還」は一人たりともありえないと、本気で信じているのでしょうか?
困難をなんとか回避しようと、難民として保護される(=危険な地に送還されない)道ではなく、送還されるリスクを残しながらも、別のビザで滞在を試みる人たちもいます。就労できる立場にある人々だけをことさらに取り上げる報道もありますが、「命の選別」として伝わらないよう、注意を払うべきでしょう。
確かに、働くための許可や環境さえあれば、「自立」して生活することができる人たちもいます。一方、過去に暴力を受け、体が不自由だったり、教育を受ける機会を奪われたことで、読み書きがうまくできなかったりする人もいます。そうした人々を支えていくのは、「社会」としてごく自然なことでしょう。
また、私が取材した人の中には、難民申請の仕組みを知らない、あるいは、日本の難民認定が厳しいと知っていて申請をためらっていたことで、在留資格を失ってから難民申請をした人たちがいました。在留資格を失った状態では、就労の許可を得ることができません。ネパール人として初めて日本で難民認定を受けた男性は、在留資格を失った後に難民認定の制度を知り、拷問の後遺症で時に痛む足を引きずりながら、片道7時間をかけて入管に通ったといいます。
これらはどれも、遠い海の向こうの話ではなく、私たちの「隣人」に関わることです。「世界難民の日」に合わせて発信が増えるなか、日本でのずさんな難民審査の実態に何ら問題提起せず、「海の向こうの人たち」としてしかとらえない言葉に説得力があるか、発信者それぞれが考えなければならないでしょう。
難民が命の危険がある場所に送り返されることは、「死刑執行」に等しいことです。「隣人」が「死刑」への道に進むのを黙って見過ごすのか。その道をなくすために制度を作り替えるのか、6月20日に足元から考えてみる必要があるのではないでしょうか。
1987年生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のリポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は岩手県陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)など。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
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