第2回上海で「アヘン王」と呼ばれた日本人 極秘文書に残る流通のからくり
夜景で有名な中国・上海の観光スポット「外灘(バンド)」から車で10分ほどで、戦前に日本人が多く住んでいた地区にたどり着く。
ガラス張りのビルと、租界(外国人居留地)があった時代の洋風建築が混在する一帯に、9階建てのマンションがひっそり立っている。
1931年の建築で、丸みのある外観とれんが造りの外壁が特徴だ。
上海は戦前、日本の傀儡(かいらい)国家だった満州国をはじめ、中国大陸各地で蔓延(まんえん)した麻薬・アヘンの流通の中心地となった。
表向きは「中毒者の救済」を掲げ、日本はアヘンで膨大な利益をあげ続けた。そして、利益の一部は関東軍に流れていたことが、近年の研究で分かっている。
かつて「ピアスアパート」という名前だったこのマンションは、アヘン流通の「心臓部」ともいえる場所だった。
ここに「上海のアヘン王」と呼ばれた日本人、里見甫(はじめ)の執務室兼住居があったとされるからだ。
マンションのアーチ型の門をくぐり抜けると、中庭が広がる。2階に上がると、開いた扉から、高齢の女性が台所で料理しているのが見えた。
女性は夫と1949年から70年以上ここに住んでいるといい、部屋の中を案内してくれた。
キッチンのほか6畳ほどの部屋が3部屋。床材やドア枠には高級そうな木材が使われていた。
「昔は社会的に地位がある人しか住めない高級アパートだった。政府のお偉いさんもここに住んでいたな」。奥の部屋にいた女性の夫が少し自慢げに説明した。
「かつて、ここに日本人が住んでいたことを知っているか」
記者が尋ねると、夫は頭を振った。
「外国人? そんな話は聞い…
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