傷つく覚悟で「ここにいます」三木那由他さんがほどくカミングアウト
Re:Ron連載「ことばをほどく」 第1回
性的マイノリティー当事者の声を反映しないままいわゆる「LGBT理解増進法」が成立するなど、今年も明るくなれない話題が多く、私の知り合いのクィアな人々(社会で標準とされる性のありかたとは違う生き方をする人々)は毎日のように悲しみと憤りを語っている。けれどそんななかで、7月に音楽グループ「AAA(トリプル・エー)」のメンバー、與真司郎さんがゲイとしてカミングアウトし、あるがままの自分で生きる決意を語ったことは、数少ない明るくなれる話題のひとつだった。
2017年に声優の三ツ矢雄二さんがゲイとしてカミングアウトしたり、21年に歌手の宇多田ヒカルさんがノンバイナリー(男性か女性かという二者択一的な枠に当てはまらないジェンダーアイデンティティーの総称)としてカミングアウトしたりと、ちょっとずつだが日本でもカミングアウトする有名人が増えてきているようだ。性的マイノリティーの若者たちはロールモデルを持たず孤独に生きていることが多いが、こうして自分に似た存在を知る機会が増えれば、状況は少しずつよくなっていくだろう。
ただ、その一方でどうしても気になることがある。カミングアウトという行為が担う意味合いが、あまり知れ渡っていないのではないかと感じるのだ。
ひょっとしたら、いまこれを読んでいるあなたも、「カミングアウト」を「秘密の告白」と同じようなものだと思っているかもしれない。でも、実際にはカミングアウトは、例えば苦手な食べ物を明かしたり、犬が怖いと打ち明けたりといったこととはだいぶん異なっている。少なくとも私にとってはそうだ。私はトランスジェンダーとしてカミングアウトしているが、これは実は私が虫を苦手としていると打ち明けるのとはまるで担っている意味が違う。では、私はカミングアウトをどのようなものとして経験しているのか。少し時間をもらって語らせてほしい。
隠れていたところから外へ
「カミングアウト」は、英語ではcoming outに当たる。これは実は、一般的に広く用いられる言い回しで、「外に出てくる」「姿を現す」といった意味を持つ。外にお出かけすることや、太陽が雲の隙間から現れ出てくること、新しい映画が公開されること、そういった「表に出ていない状態から表に出ている状態への移行」が広くcoming outという言葉で表される。性的マイノリティーについて語られる「カミングアウト」もこれと基本的には同じだ。だから例えば「私はトランスジェンダーです」とカミングアウトする場合、英語では「coming out as transgender」などと記述することが多い。「トランスジェンダーであるとカミングアウトする」というより、「トランスジェンダーとしてカミングアウトする=外に出てくる」なのだ。
もちろん、外来語は日本語の一部なのだから、必ずしももとの言語での用法に合わせないとならないわけではない。日本語の「メール」は英語のmailと違って基本的に紙の手紙を含まないかたちで使われているが、だからといって「紙の手紙もちゃんと『メール』と呼ばないと!」と焦るひとはそんなにいないだろう。ただ「カミングアウト」のような社会的マイノリティーに関して用いられる言葉については、当事者たちがそれに託している社会的、政治的意味合いをかき消してしまわないように注意する必要があるだろう。
さて、「カミングアウト」が「外に出てくる」という意味を持つのはいいとして、では性的マイノリティーの人々はどこから出てくるのだろうか? 「クローゼットから」というのが答えだ。そもそもcoming outはcoming out of the closet、「クローゼットから外に出る」の略である。このあたりの説明については、聞いたことがあるひとも多いかもしれない。でも、改めてそれがどういうことかをじっくり考えてみたい。
クローゼットから出てくるということは、それまではクローゼットのなかにいるということだ。これにはふたつの側面があると、私は感じている。
第一に、私たちはクローゼットのなかに「隠れている」。クローゼットから外に出ると直面するさまざまな困難を恐れて、避難しているのだ。けれどそれだけでなく、第二に私たちはクローゼットに「押し込められて」もいる。外に出ようとしても、外側から強烈な力でクローゼットへと押し戻されてしまい、簡単には外に出られない。これが私の経験する限りの「クローゼットのなかにいる」だった。
ひとつ目のほうは想像がしやすいと思う。私は戸籍の性別もいまの生活上の性別に合わせて変更しているので、書類や記録のたぐいを調べても基本的にトランスジェンダーであるとわかりようがなくなっている。
だから、何も言わずにいると…