ノスタルジーはいらない 棋士・阿久津主税と松尾歩 並走の29年
順位戦の対戦表を眺めていると、心の片隅に静かな高揚を与えるカードがある。6日の第82期将棋名人戦・B級2組順位戦の阿久津主税八段(41)―松尾歩八段(43)戦は、長らく棋界を見守ってきた人々に様々な感情を誘う一局だろう。対決する両者のストーリー「純情順位戦DUEL」。戦いは今夜も長く続きそうだ。
あの頃、2人には無邪気な希望があった。
きらめく才能を手にして、将棋の奥深さに魅了され、何より若かった。
1994年、半年の差で棋士養成機関「奨励会」に入会し、夢を追い始めていた。
当時、阿久津主税の日課は中学校から帰宅した後に将棋会館まで出向くことだった。棋士たちが公式戦に臨む4階の玄関脇にある一室「桂」に毎日のように足を運んだ。
奨励会員たちが集まって練習将棋を指す部屋のもう一人の常連は、松尾歩だった。
どちらから声を掛けるでもなく、将棋を指し始める。一手を10秒未満で指さなくてはならない「10秒将棋」。修業の身としては、強くなるための手段である以前に空気を吸うことと同じような行為だった。
上野裕和、熊坂学(77年生まれ)、千葉幸生、遠山雄亮、藤倉勇樹(79年生まれ)、佐々木慎(80年生まれ)ら後に棋士になる同世代の会員もいた。そして、棋士になるという夢をかなえることのできなかった多くの同志たちも。
阿久津「自分がいちばん年下でしたけど、顔を見たら将棋を指す、みたいな感じでした。行けば誰かが必ずいるので。よく将棋を指してもらって、よく遊んでもらった。松尾さんは将棋に打ち込んでいたので、怒らせると怖そうだな、といつも思ってました。怒らせたこと、あるのかな……」
松尾「阿久津さんは……生意気だったなあ、という記憶はあります(笑)。でも将棋は強いし、先輩みんなに可愛がられる後輩でした。覚えてないですけど、怒ったこと……あったでしょうね(笑)。お互いに若かったから」
一人きりの自室でAI(人工…