「私の方がつらい」弱者争う社会 「大変だね」の同情、敵意に変化
「年収が多くても暮らしに余裕なんかない。優遇措置が多い非課税世帯はずるい」「本当の弱者は男性、守られる立場の女性がうらやましい」……。世間的には「勝ち組」とされる人が自ら弱さをさらけ出し、時には他の弱者を攻撃する「弱者争い」のような状況がSNSなどで起こっている。
論壇誌で「ひろゆき論」など話題の論考を相次いで出している成蹊大の伊藤昌亮教授(メディア論)に、なぜこうした現象が起きるのかを聞いた。
ある面では恵まれている「とても大変」な人
――「強がる」の言葉はあっても、「弱がる」とは言いません。それが最近は、なぜあえて弱さを声高に叫ぶ風潮があるのでしょうか?
「強がるのは、自分は権力を持っていると存在を誇示し、社会の中でその権力に見合う権利や認知を求めていると思われます。弱さを見せるのも、実は同じでしょう。弱いから自分は社会の中で擁護されないといけない、このつらい気持ちが共感してもらえないのはおかしいと異議を唱える点で、認知の要求と思われます」
「強がる人たちによる強者争いから、弱さを叫ぶ人による弱者争いが目立つようになっているのは、日本の社会の大きな構造変化により『あいまいな弱者』が増えているのが原因でしょう」
――「あいまいな弱者」とは何でしょうか?
「昔は弱者が明確でした。高齢者、子ども、障害者、失業者……と、その属性が一言で説明できます。明確であるがゆえに、弱者を社会全体で支えることへの反発も大きくはありませんでした」
「そもそも日本は、社会保障費の対GDP(国内総生産)比が2019年の時点で北欧諸国はもとより米国やドイツも下回るなど、福祉の規模が小さい国です。そして国に代わって疑似的な福祉を支えたのが企業と家庭です。企業の年功序列での終身雇用と手厚い福利厚生が働き手を支え、専業主婦の存在を前提にした家庭が育児と介護を担いました。1990年代までの弱者の多くはこの企業福祉、家庭福祉の枠に入らなかった人でした」
「あいまいな弱者」はなぜ生まれたのか、なぜ協力せずに争うことになるのか。お金だけでない気持ちの問題、弱者が強者を支持するねじれ現象、弱者争いの世界の流れ……。そして解決の糸口は。伊藤教授の分析は続きます。
「しかし終身雇用の崩壊や非…