「僕死ぬのかな」尋ねた7歳のこうちゃん 母に残した4輪のアサガオ
「こうちゃん。こうちゃんが旅立って今日で30年になったね。あの日もこんな天気だったかな?」
9月13日、晴れ渡った空から真夏のような日差しが注いでいた。丹後まみこさん(65)は次男光祐(こうすけ)君(享年7)が眠る墓前で、手を合わせたまま続けた。
「こうちゃんが残してくれたアサガオのおかげで、お母さんは大切な経験をさせてもらっています。いろんな所に行って、いろんな人と出会いました。ありがとう」
「おっかあ、だるい」 突然鼻血も
こうちゃんは1986年8月14日、新潟県の旧中条町(現胎内市)で生まれた。年子の4人きょうだいの3番目。お兄ちゃんとお姉ちゃんには素直だけど、弟とは母親のひざの上を取り合う甘えん坊だった。
体を動かすのが大好き。小柄なこともあってか動きがすばしっこく、保育園のかけっこはいつも1番か2番だった。
年長に上がって3カ月ほどした92年初夏のこと。弟とそろって伝染性紅斑(リンゴ病)を園でもらってきた。
弟と違い、治りは遅かった。熱が下がったと思っても、登園するとまた高熱を出した。
「おっかあ、だるい」。そう言って横になることが増えた。微熱が続いて目の下にあざができ、食欲もなくなっていった。
7月のある夜、突然鼻血を垂らした。「どうしたの? ぶつけた? けんかした?」と尋ねると、「してないよ」。鼻血は次の日も続いた。大病を経験したばかりの叔父から大きな病院で検査するよう勧められた。
翌朝、旧町内の総合病院で診察を受けた。午前中の検査では貧血だった。午後に採取した骨髄液の検査結果を待った。
「白血病の疑いがあります。すぐに県立がんセンターか大学病院で精密検査を受けて下さい」
頭を強く殴られたような衝撃が走った。目の前が真っ暗になった。
入院生活癒やした笑顔
7月21日、新潟大付属病院(現・新潟大医歯学総合病院)を受診した。そのまま1週間の検査入院が決まった。
「ここにいるのは1週間だけ。入院なんてもうめったにないはずだ」。不安を打ち消すように、記念撮影のつもりでカメラを向けた。こうちゃんはグレーと濃紺のボーダー柄をしたお気に入りのポロシャツ姿で、ベッドに座ったままはにかんだ。
初めての入院生活が始まった。骨髄液の採取、採血と採尿に始まり、心臓や腎臓、肝臓など体の隅々にまでわたって検査は連日続いた。
こうちゃんが弱音を吐くことはなかった。検査の合間にはベッドの上でゲーム機で遊び、家族のことを話題にして2人で盛り上がった。母親を独占できて喜んでいるようにも見えた。その笑顔から癒やしをもらい、入院しているのが「何かの間違いではないか」とさえ思えた。
1週間後…
- 【視点】
私事ではありますが、親族が今年、急性白血病に罹患しました。 彼女には小学生の娘がいます。 発症直後は集中治療室にも入りました。 入退院を繰り返して抗がん剤治療を経て、先日より通院治療に切り替わりました。 「倒れた」
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